は》つてこちらを見《み》る。鼠麹草《はゝこぐさ》の花《はな》が皆《みな》投《な》げ竭《つく》されて與吉《よきち》は又《また》おつぎを喚《よ》んだ。
「おうい」とおつぎの情《じやう》を含《ふく》んだ聲《こゑ》が遠《とほ》くからいつた。おつぎの返辭《へんじ》を聞《き》いては與吉《よきち》は口癖《くちぐせ》のやうに姉《ねえ》よと喚《よ》ぶ。其《その》度《たび》毎《ごと》におつぎは忙《いそが》しい手《て》を動《うご》かしながらそれに應《おう》ずるのである。
 正午《ひる》にはまだ間《ま》があるうちに午餐《ひる》の支度《したく》を急《いそ》いでおつぎは田圃《たんぼ》から茶《ちや》を沸《わか》しにのぼる。與吉《よきち》は悦《よろこ》んでおつぎの背《せ》に噛《かぢ》りついた。勘次《かんじ》は後《あと》で獨《ひと》り耕《たがや》した。青《あを》い煙《けむり》が楢《なら》の木《き》から立《た》つて軈《やが》て
「沸《わ》いたぞう」とおつぎの聲《こゑ》で喚《よ》ばれるまでは勘次《かんじ》は忙《いそが》しい其《そ》の手《て》を止《と》めなかつた。
 午餐過《ひるすぎ》からおつぎは縫針《ぬひばり》へ絲《いと》を透《とほ》して竿《さを》へ附《つ》けて與吉《よきち》に持《も》たせた。與吉《よきち》は外《ほか》の子供《こども》のするやうに其《そ》の針《はり》を擧《あ》げて見《み》ては又《また》水《みづ》へ投《な》げて大人《おとな》しくして居《ゐ》る。暫《しばら》く時間《じかん》が經《た》つと又《また》姉《ねえ》ようと喚《よ》ぶ。おつぎは堀《ほり》の近《ちか》くへ耕《たがや》して來《き》た時《とき》に見《み》ると與吉《よきち》の竿《さを》は絲《いと》がとれて居《ゐ》た。おつぎは岸《きし》へ上《あが》つた。
「どうしたんでえ、よき[#「よき」に傍点]は」おつぎは見《み》ると針《はり》が向《むかふ》の岸《きし》から出《で》た低《ひく》い川楊《かはやなぎ》の枝《えだ》に纏《まつは》つて絲《いと》の端《はし》が水《みづ》について下流《かりう》へ向《む》いて居《ゐ》る。おつぎは二|町《ちやう》ばかり上流《じやうりう》の板橋《いたばし》を渡《わた》つて行《い》つて、漸《やうや》くのことで枝《えだ》を曲《ま》げて其《その》針《はり》をとつた。さうして又《また》與吉《よきち》の棒《ぼう》へ附《つ》けてやつた。

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