るので自分《じぶん》の機轉《きてん》といふものが一|向《かう》なかつたりするので酷《ひど》く齒痒《はがゆ》く思《おも》つて居《ゐ》た。然《しか》し自分《じぶん》は入夫《にふふ》といふ關係《くわんけい》もあるしそれに生來《せいらい》の寡言《むくち》なので姻戚《みより》の間《あひだ》の協議《けふぎ》にも彼《かれ》は
「どうでもわしはようがすからえゝ鹽梅《あんべい》に極《き》めておくんなせえ」とのみいふのであつた。
勘次《かんじ》は百姓《ひやくしやう》の尤《もつと》も忙《せは》しい其《そ》の頃《ころ》の五|月《ぐわつ》に病氣《びやうき》に成《な》つた。彼《かれ》は轡《くつわ》へ附《つ》けた竹竿《たけざを》の端《はし》を執《と》つて馬《うま》を馭《ぎよ》しながら、毎日《まいにち》泥《どろ》だらけになつて田《た》の代掻《しろかき》をした。どうかするとそんな季節《きせつ》に東南風《いなさ》が吹《ふ》いて慄《ふる》へる程《ほど》冷《ひ》えることがある。勘次《かんじ》は其《そ》の冷《ひ》えが障《さは》つたのであつたらうか心持《こゝろもち》が惡《わる》いというて田《た》から戻《もど》つて來《く》るとそれつ切《き》り枕《まくら》も上《あが》らぬやうになつた。能《よ》く馬《うま》の病氣《びやうき》に飮《の》ませる赤玉《あかだま》といふ藥《くすり》を幾粒《いくつぶ》か嚥《の》んで彼《かれ》は蒲團《ふとん》へくるまつて居《ゐ》た。彼《かれ》はどうにか病氣《びやうき》の凌《しの》ぎがつけば卯平《うへい》の側《そば》へは行《ゆ》きたくなかつた。それと一《ひと》つには我慢《がまん》して仕事《しごと》に出《で》れば碌《ろく》には働《はたら》けなくても一|日《にち》の勤《つと》めを果《はた》したことに成《な》るけれども、丸《まる》で休《やす》んで畢《しま》へば其《そ》の日《ひ》だけの割當勘定《わりあてかんぢやう》が給金《きふきん》から差引《さしひ》かれなければ成《な》らぬので彼《かれ》はそれを畏《おそ》れた。然《しか》し病氣《びやうき》は馬《うま》に飮《の》ませる藥《くすり》の赤玉《あかだま》では直《すぐ》には癒《なほ》らなかつた。それで彼《かれ》はお品《しな》の厄介《やくかい》に成《な》る積《つもり》で、次《つぎ》の朝《あさ》早《はや》く朋輩《ほうばい》の背《せ》に運《はこ》ばれた。卯平《うへい》
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