ば、裁て着すべき、鬼怒川の待宵草、庭ならば垣がもと、雜草《あらくさ》も交へずあらんを、淺川や礫がなかに、葉も花も見るに淋しゑ、眞少女よ笑みかたまけて、虚心たぬしくあらめと、母なしに汝が淋しゑ、見る心から。

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麥踏む農婦を見て詠める歌
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箒もて打たば捉るべき、蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]なす數なきものに、己さへ思ひてある、貧しきは暇をなみ、冬墾りと麥のうね/\、鍬もて背子が打てば、をみな子の乳子を抱かひ、家に置かば守る人なみ、笠牀と卯つぎがしたに、獨り置かば凍えすべなみ、暖き肌に背負ひて、七たびも踏むべき麥と、腿立ちの蹈みの搖すりに、こゝろよく乳子は眠りぬ、往還り實《まめ》にし蹈めば、薄衣まとへどぬくゝ、粟も稗も餓ゑばうまけむ、あきつなす數なきものに、自らも思ひてあれば、世をうけく思はずあらめと、人の身を吾はいたみぬ、見るたびことに。

    亂礁飛沫

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一月十七日、常陸國鹿島郡の南端なる波崎といふ所の漁人の家に到りぬ、地は銚子港と相對して利根の河口を扼す。止まること數日、たま/\天曇りて海氣濛々たり、漁舟皆河口よりかへりぬ。
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ほこりかも吹きあげたると見るまでに沖邊は闇し磯は白波

眞白帆にいなさをうけて川尻ゆ潮の膨れにしきかへる舟

いさりぶね眞帆掛けかへるさし潮の潮目搖る波ゆりのぼる見ゆ

利根川の冬吐く水は冷たけれどかたへはぬるし潮目搖る波

利根川は北風《かたま》いなさの吹き替へにむれてくだる帆つぎてのぼる帆

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滿潮河口に浸入すれば河水と相衝き小波を揚げて明に一線を畫す、之を潮目といふ。蓋し淡水と鹹水《かんすい》とを相分つの意なり。

廿一日、夜雪ふりて深さ五寸に及ぶ、此の如きは此地稀に有る所なりといふ。
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松葉焚き煤火すゝたく蜑が家に幾夜は寢ねつ雪のふる夜も

波崎のや砂山がうれゆ吹き拂ふ雪のとばしり打ちけぶる見ゆ

しらゆきの吹雪く荒磯にうつ波の碎けの穗ぬれきらひ立つかも

吹き溜る雪が眞白き篠の群の椿が花はいつくしきかも

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波崎雜詠のうち
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薦かけて桶の深きに入れおける蛸もこほらむ寒き此夜は

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利根の河口は亂礁常に波荒れて舟行甚だ沮む、只暗礁あかべ鹿根の二島の間僅に平静なり、大小の船舶皆之より出入す。故に風威一たび加はれば復た近づくべからず。此邊一帶の濱漁人の命を損するもの年に幾十を以て數ふといふ。一月廿二日寒氣凛烈一船底を破りきと傳ふものありければ
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利根川や八十河こめて、遙々に濶きながれの、川じりゆ吐き出づる水を、逆むけて打ち寄る波は、※[#「さんずい+和」、第4水準2−78−64]のよき日にも搖れども、おも楫はあかべが島と、下總のつめの守部、とり楫は鹿島根が巖と、常陸のはての守部に、波ごもりたぐふ二島、二島のひまのなごみに、眞白帆を掛けのつらなめ、鮪舟あさ行きしかど、かへり來る灘のあらびの、速吸の潮のまに/\、過ちて巖に觸りけむ、そこすぎば安けむものを、速吸の潮のまに/\、其舟をあはれ。

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蜑が家に蛸の生きたるを見てよめる歌
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天地の未だ別れず、油なすありけむ時に、濁れるは重く沈みて、おのも/\成りけるがなかに、なりざまの少し足らざる、蛸といふは姿のをかしく、動作《すること》のおもしろきものと、漁人の沖に沈みし、蛸壺に籠りてある時、疣自物曳けども取れぬを、蛸壺の底ひに穿てる、其孔ゆ息もて吹けば、駭きて出づとふ蛸の、こゝにして桶の底ひに、もそろ/\蠢きてあれば、ほと/\に頭叩き、おもしろと我が打てば、うつろあたま堅くそばたち、忽ちに赤に醉ひたるは、蓋しくも憤るならし、眼《まながひ》もくちもおもしろ、蛸といふものは。

    近作二三
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お伽噺に擬して作れる歌
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犬蕨しぬにおしなべ、雪積める山のなだれに、杉の葉をくひつゝある、兔等に猿のいへらく、なにしかも汝が目は赤き、汝が耳は恐れのしるし、溪をだに出でがてにするを、枝渡り空行くことの、我が儕はしかぞかしこき、斯くいへば兔いへらく、山媛の我をめぐしと、石楠の花をつまみ、豆梨の花をつまみ、豆梨を口に吸ひ、石楠を口に吸ひ、我が目らに塗らせりしかば、美しくしかぞ成りしと、いへる時|山毛欅《ぶな》のうつろに、潛み居し小兔いはく、誇らひて汝はあれども、蛸とるとありける時、鱶の來て臀くひければ、室の樹の枝に縋りて、七日まで泣きてありしゆ、汝が族臀は赤く、汝が族木傳ひ渡り、汝が族しかぞ喧し、然かも尚ほこらひ居りやと
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