くりに花なりし菽の莢になりつゝ

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車の上にても暑さはげしきに、つくばの山にはノタリといふ雲のかゝりたるを見てちかく雨のふるならむと、少し腹に力もつきたることなれば身も心もいさましく
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筑波嶺のノタリはまこと雨ふらばもろこし黍の葉も裂くと降れ

     其三

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明治三十六年八月十日、熊野に入り那智にやどる、庭に彳めば谷を隔てゝ名に負ふ瀧のかゝれるもみゆるに、かうべをめぐらせば熊野の浦はる/″\として限りを知らず、をりしも月の冴えたる夜なりければ涼しさ肌にしみ透るやうに覺えて心地いふべくもあらざりき。ことしまた暑さに向ひて只管この山のすゞみを偲びてその夜のこころになりてよみける歌十首
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山桑の木ぬれにみゆる眞熊野の海かぎろひて月さしいでぬ

ぬばたまの夜の樹群のしげきうへにさゐ/\落つる那智の白瀧

こゝにしてまともにかゝる白瀧のすゞしきよひの那智山よしも

照る月を山かもさふる白瀧の深谷の木むれいまだみわかず

那智山は山のおもしろいもの葉に月照る庭ゆ瀧見すらくも

なちやまの白瀧みむとこし我にさやにあらむと月は照るらし

眞向ひに月さす那智の白瀧は谷は隔てどさむけくし覺ゆ

あたらしき那智の月かも人と來ばみての後にもかたらはむもの

那智山の瀧のをのへに飽かずみむこよひの月夜明けぬべきかも

やまとにはいひ次ぐ那智の瀧山にいくそ人ぞも月にあひける

     消息の中より

菜の花は咲きのうらべになりしかば莢の膨れを鶸の來て喰ひ

かぶら菜の莢喫む鶸のとびたちに黄色のつばさあらはれのよき

     荊城歌壇を罵る

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「いはらき」歌壇の寂寞たるを慨しての所爲に有之隨分極端なる申やうにも相成申候。腹藏なく申候へば「いはらき」歌壇は花も咲かざる雜草の茂れるが如く相見え申候。個々の作者をみれば一つはみちびく人のなきにも因ることと存候へども迷ひ居候こと気の毒なるばかりに有之候。かくの如き主意にて作り申候忽卒の際とて語句のみるべきなきは汗顔のいたりに候。
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茨城の名に負ふ新聞《ひぶみ》なにしかも蓼さかずて莠しげれる

「いはらき」は我目正しけば蕁麻《いらくさ》の手にも觸るべくあらざるが如

一日には往き還り往き[#「き」に「ママ」の注記]む筑波根も谿に迷はゞ八十日ゆき[#「ゆき」に「ママ」の注記]とも

さもあらずあるべきものをよそりなみ迷へる子等をあはれと思ひき

みな人よまさしき道も己だに求めて行かば行くべきものを

縣路《あがたぢ》の莠はしげししげけれど除きて棄てむ人もあらなく

茨城のうまし大野の秋の田も蒔かねばならずしかにあらずや

秋の田にまかぬにおふるおもだかも花さきしかばおもしろに見る

刈らゆれど嫁菜も花にさくものをやまず培へ園の植草

    憶友歌

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我が友瀧口玲泉は水戸の人にして早稻田出身の文士なり軍に從ひて近衞に屬し遼陽攻陷の際八月二十六日、大西溝の激戰に右腕に銃創を蒙り浪子山定立病院に收容せられぬ、予頃日水戸に遊びその家人に就きて具に状況を悉すをえたり。玲泉は予が交友中尤も快活なるもの、然も肉落ち眼窩凹めるの状を想見すれば一片哀憐の念禁ぜず、予は渠が創痍の速に癒えて後送せらるゝ日を待つや切なり、乃ち之に一書を贈り、末尾に短歌十五首を附す。素渠が苦悶を慰めむと欲せしに過ぎず、語句の斡旋の如きは必ずしも意を用ゐざるなり。
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眞痛みにいたむ腕を抱かひて臥すかあはれ諸越の野に

ますらをや痛手すべなみ黍の幹《から》を敷寢の床も去りがてにあらむ

もろこしは霜の降りきと聞きしかば痛手の惱みまして偲ばゆ

籠り居る黍の小床にこほろぎの夜すがら鳴かばいかにかも聞く

をのこやも務めつくせり垂乳根の母ます國へはや歸るべし

活けるもの死にするいくさ然にあるをいきてかへるに何か恨まむ

垂乳根の母がます國もとつ國うまし八洲はまさきくて見よ

那珂川に網曳く人の目も離《か》れず鮭を待つ如君待つ我は

かへりくとはやも來ぬかもうましらに秋の茄子はいまだみのれり

秋はいまは馬は肥ゆとふ故郷の縣の芋も肥えにたらずや

我が郷の秋告げやらむ女郎花下葉はかれぬ花もしをれぬ

ありつゝも見せまく欲しき蕎麥の花しぼまばつぎてをしね刈る見む

やすらかに胡麻の殼うつひな人に交りて居れば君をこそ思へ

待つ久に遇ふべくあるは青菜引く冬にかあらむいまかあふべき

かへらはゞ我郷訪ひこ見にまかれ足がまたけば手は萎《な》えぬとも[#ここから割り注](明治三十七年九月上旬作)[#ここで割り注終わり]
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 明治三十八年

    十月短歌會
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