え」
対手は聞いた。太十は少時黙って居たが
「いっそのこと殺しっちまあべと思ってよ」
ぶっきら棒にいった。
「何よ」
と対手はいった。然しそれが余り突然なので対手はいつものように揶揄って見たくなった。
「まさか俺がこっちゃあるめえな」
とすぐにつけ足した。
「どうせ犬殺しの手にかけるなら自分でやっちまった方がいいと思って……」
太十は口をしがめた。
「それじゃ、おっつあん赤か、どうしたんでえまあ」
太十は犬殺しの噺をした。対手の心裏にふとそれを殺してやろうという念慮が湧いた。其肉を食おうと思ったのである。赤犬の肉は佳味いといわれて居る。それも他人の犬であったらそういう念慮も起らなかったであろうが、衷心非常な苦悩を有して居れば居る程太十の態度が可笑しいので罪のない悪い料簡がどうかすると人々の心に萠すのであった。
「殺しちまあ」
太十がいった其声は顫えて居た。犬の身に起った不幸な出来事は薄弱な太十の心を掻き乱して畢った。彼は殺すと口には断言した。然し彼の意識しない愛惜と不安とが対手に愁訴するように其声を顫わせた。殺すなといえばすぐ心が落ち付いて唯其犬が不便になったのである。然し対
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