居れば太十がそれに添うて居ないことはない。然し太十は四十になるまで恐ろしい堅固な百姓であった。彼は貧乏な家に生れた。それで彼は骨が太くなると百姓奉公ばかりさせられた。彼はうまく使えば非常な働手であった。彼は一剋者である。一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は彼の父の遺伝である。だが甞て乱暴したということもなくてどっちかというと酷く気の弱い所のあるのは彼の母の気質を禀けたのであった。彼の兄も一剋者である。彼等二人は両親が亡くなって自分等も老境に入るまでしみじみと噺をした事がない。そうかといって太十はなかなか義理が堅いので何事かあると屹度兄の家へ駈けつける。然し彼は何事に就いても少しの意見もなければ自ら差し出てどうということもない。気に入らぬことがあれば独でぶつぶつと怒って居る。そうした時は屹度上脣の右の方がびくびくと釣って恐ろしい相貌になる。彼の怒は蝮蛇の怒と同一状態である。蝮蛇は之を路傍に見出した時土塊でも木片でも人が之を投げつければ即時にくるくると捲いて決して其所を動かない。そうして扁平な頭をぶるぶると擡げるのみで追うて人を噛むことはない。太十も甞て人を打擲したことがなかった。彼はすぐ怒るだけに又すぐに解ける。殊に瞽女のお石と馴染んでからはもうどんな時でもお石の噺が出れば相好を崩して畢う。大きな口が更に拡がって鉄漿をつけたような穢い歯がむき出して更に中症に罹った人のように頭を少し振りながら笑うのである。然し瞽女の噂をして彼に揶揄おうとするものは彼の年輩の者にはない。随って彼の交際する範囲は三四十代の壮者に限られて居るのである。以前奉公して居た頃も稀には若い衆に跟いて夜遊びに出ることもあった。彼も他人のするように手拭かぶって跟いて行った。帰る時にはぽさぽさとして独であった。若い衆はみんな自分の女を見つけると彼を棄ててそこらの藪や林へこそこそと隠れて畢う。太十はどの女にも嫌われた。丁度水に弾かれる油のようであった。それでも彼は昼間は威勢よく馬を曳いて出た。彼は紺の腹掛に紺の長いツツポ襦袢を着て三尺帯を前で結んで居た。襦袢の襟を態と開いて腹掛の丼を現わして居た。彼は六十越しても大抵は其時の馬方姿である。従来酒は嫌な上に女の情というものを味う機会がなかったので彼は唯働くより外に道楽のない壮夫であった。其勤勉に報うる幸運が彼を導いて今の家に送った。彼
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