一階二階と數へて見るのに植ゑてからまだ幾年もたゝぬことがわかる。それでも木立の間は薄闇い。白い花崗石の玉垣と地上に敷いた白砂と玉垣の前にある一本の樹のはしばみのやうな葉の黄ばんだのとはあたりを明るくして居る。秋の雨はしと/\と止まず注いで居る。はしばみのやうな黄ばんだ葉が少し白い砂の上に散つて雨に打たれて居る。余は木立を後にして蓼の穗の垂れてる道をもどる。そこから大和の山々が見える筈だと思つて見ると雨は四方を閉ざして居るのである。民家のある處を過ぎて行くと山陵から餘り遠くなく能褒野の神社がある。神社というてもそれは見るかげもない小さなもので極めて小さな鳥居が建てゝある。あたりは低い松が疎らに立つて居て、そこら一杯に生えて居る末枯草は點頭くやうに葉先を微かに動かしながら雨に打たれて居る。鳥居の前には有繋に宮守の家らしい建物がある。わびしげな住居で障子にも破れが見える。しぶきに濕る縁側には芋殼を積んでそれへ筵を掛けてある。余は白鳥が翼を擴げて蒼空を遠く翅るのを悠長な宮人が蹶きながら追ひ歩いたといふ故事を心に浮べながらあたりを見る。土地のさまはどうしても以前の能褒野を其儘現在に見るやうでいたくも秋寂びて居る。余はそれから四日市へ行きたいので宮守の家に就いて聞いた。障子の内から女の聲がしてそれは汽車に乘るがいゝといつてあらましを教へてくれた。余は能褒野を立つて高宮の停車場へ出る。其間もさびれた土地であつた。其さびれた村々には※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]の木の葉が赤くなつて梢疎らについて居る。※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]の木蔭には赤い表をあらはしたり白いうらをあらはしたりして散り重つて居る落葉が雨に打たれて居る。さうして其梢には何處のを見ても柿は一つもついて居らぬ。余は窃に柿が欲しくなつた。或る茶店に小さな※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]のあつたのを見たから懷へはひるだけ買つた。それを歩きながらでもたべようと思つたのだ。然し今朝出掛に雨があまり酷いので蓆一枚では迚ても凌げないと思つたから更に桐油を一枚求めてそれを後へ掛けて蓆は胸へ當てゝ歩いて居たのであるから手を出すのが億刧である。それから柿を懷にした儘急いだ。草鞋の底が切れかけたけれど穿きかへるのが面倒だから此も構はずにしと/\と急いで行く。停車場は恐ろしいみすぼらしい小さな建物であつた。時間表を見ると四日市行はまだ大分時刻がある。余は笠と蓆を取つて腰掛へ立て掛けて桐油はそつと其上に乘せた。笠からも蓆からも流れ出る水がタヽキの上に太い線を描いて其先が少し曲り/\勢よく先へ行く。余はそこでゆつくり柿をくふ積で荷物をおろして腰を掛けた。さうしたら臀が非常に冷たいのに氣がついた。能く見ると先刻から草鞋の切れたのを取りかへずに來たので踵から泥を跳ねあげてヅボン下は臀のあたりまでぐつしりと泥水へひたしたやうになつて居たのであつた。桐油を見たら桐油も泥だらけであつた。

         三

 大垣は清冽な水の湧く處である。穴を穿てばどこからでも沸々として其清冽な水が湧いて出るといふのである。柘植氏のもとを訪ねたのは祭の提灯が飾つてある日であつた。柘植氏は余を案内してあるきながら或角の菓子屋の店へはいつた。店先には湧いて出る水をタタキで圍つてある。主人は其水へ手を入れて底に沈んで居る團栗の實よりも少し大きな位な茶碗の形の燒物を抄ひあげる。其茶碗を倒にして持つた手を左の手の平へぽんと叩きつけると中から白い葛饅頭が出るのであつた。主人は茶碗をすくひあげてはぽん/\と拔てそれを竹の皮へ包んで渡す。竹の皮から水がぽた/\と垂れる。柘植氏は家へ戻つてそれを更に冷たい水へひたした。それは佳味かつたのみならず非常に涼しい感じのいゝものであつた。柘植氏は大垣の水が自慢なのである。それから更に養老の水を見せやうといふので、草鞋穿で連立つた。田甫を過ぎて遙かに養老の山を望んで行く。到る所の村々に清冽な水が吹き出して居る。山の麓へつくとそこには櫟の林があつて道はだん/\勾配がついて來る。其なだらかな坂がどこまでも箒で掃いたやうな趾がついて居る。どうした趾だらうかと思ひながら行くと麁朶を積んだ荷車が來る。梶棒をあげて荷車の後を地へつけて徐にくだる。麁朶の先がずる/\と道を引きずつて車輪を急劇に廻轉するのをゆるめる。箒目のやうな趾はこれだとわかつた。山へかゝつてから右手遙かに小さな瀧が見える。養老はあんなものではないあれは秣が瀧といふのだと柘植氏は語る。養老の地へつくとそこは公園である。あたりには料理屋なども建てられてあるが一帶にさびしく櫻の木だけは葉があかくなつてはら/\と芝生に散るのもある。白い花の芙蓉が其木蔭にさいて居る。それから常磐木の木立へはひるとざあ/\と落ち來る水
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