黄粉餅を三つ刺した串が一串置いてある。此が大寺餅といふのかと聞くと今日はもう一串に成つてしまつたといつて女房の語る所に依れば、堺の町の大寺といふ寺の境内にある餅屋から此餅は卸すので、遠く和歌山の方までも卸しをする餅である。いつでも四五人位で米を搗いて居る。此の土用の何の日とかには一日に廿三石何斗とかいふ餅を搗き出した。それで搗く側からさつさと小商人へ捌けてしまふ。先づ日本一の餅屋だらうといふのであつた。余は此を聞いて是非共其の餅屋が見たいと思つたので其店先の一串をたべて堺の町へもどつた。大阪へ歸る筈のを停車場へは行かずに町をぶら/\と歩いた。一人の車夫が案内をしながらどうとかいつたので遂うつかり乘せられた。車夫は威勢よく馳せる。やがて大和川のほとりへ出て人家は盡きた。大和川の土手には緑樹が茂つて其蔭に牛が繋いである。余は大寺餅といふのはどこかといつたらそれは堺の町でもう遙かに後になつてしまつたと橋の上に車を止めて後を向きながら車夫はいつた。
二
秋雨がしと/\と朝から降りつゞいて居る。能褒野へ行くのは此でよいかと道で逢うた百姓に聞いたらあれに見える土手が鈴鹿川で土橋が架つて居る。土手へ出ればすぐに山陵が見えるといつた。土手へのぼると百姓のいつたやうに長い橋があつて其先には一村の民家が見えてこんもりとした小さな木立が其側に繁つて居る。木立の後は畑で蕎麥の花が一杯に白くさき滿ちて見える。百姓は此の川に架つて居るのは土橋であるといつたがこんな長い土橋があらう筈がない。百姓もいゝ加減なことをいつたものだと思ひつゝ橋を渡りかけるとそれは實際土が載せてある。それにしても此程の川に土橋でしかもそれが隨分年月を經て居るやうに見えるのは水が嘗て破壞せしめる程には激したことがないからだらうと思はれる。橋を越して一寸左へ曲つて行けばすぐ小さな木立になる。果してそれは能褒野の山陵であつた。鈴鹿川に※[#「くさかんむり/(さんずい+位)」、第3水準1−91−13]んで居るのである。それが實際はあたりの民家に隅へおしつけられたやうな形である。畝傍の山陵でさへ以前は百姓が草を刈つたり牛を繋いたりしてそこらは牛の糞だらけであつた抔といふことを思ひ浮べながら木立へはひる。木立は松の木で後の畑の蕎麥の花も透いては見えぬまでにぎつしり繁茂して居る。松は皆太からぬ幹で其幹の枝の趾を
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