載せて
「はいお婆さん下げておくんなさいよ」
馬車は又砂利を軋りはじめた。棒のやうに眞直な街道の兩側には桐の枯木が暫く續いて其下にはぽつ/\立つてる枯菊が切な相にゆらついて居る。處々の畑には白い絲のやうな桑の木が立つて居る。桑の木のうらには小鳥でも止まつた樣に落ち殘つた枯葉が一二枚宛しがみついて居るのがある。強い西風は其枯葉を吹き散らさねば止むまいと烈しくゆさぶつて居る。遠くの林は空に吹き立つた埃のためにぼんやりとして居る。馬車は其埃の中を黒い大きな塊の如く動いて行く。此間彼は無言でさうして店のことや老いた父母のことのみ考へつゝあつた。女の卷煙草の灰が彼の顏のあたりへ吹き掛つたので彼は急に我に返つて眉を顰めた。
「まあ本當に不調法しました」
女は氣がついていきなり吸ひかけの煙草を棄てた。煙草は道の端へさうして畑の方へ吹き擢はれつゝ微かに煙を立てる。馬車は其煙に遠ざかつてずん/\と走つて行く。
「まあ御覽なさい」
女は懷から新聞紙を出して彼の荷物の上へ置いた。
「私にはこんなことは信じられませんね」
又かういつて出した新聞紙の一部を開いて見せる。不老不死と標題した賣藥の廣告の處であつた。彼は唯慇懃に會釋した。褪めた唐棧の衣物を着た彼は今大きな店の主人になるものとはどうしても見えない。それでも他の客と異つてどつしりした態度が青年には稀な狎れ難い所があるので不審とでもいふのか女は一寸こんなことを噺しかけて稍情を含んだ眼で時々彼を偸み視た。
「つかないことをお聞き申すやうですがあなたはどちらでしたね、どうもお見掛け申したやうですが」
小商人らしいのが女に聞いた。
「私ですか、私は水戸ですよ」
「はあさうでしたか、其所まで聞いちや何ですが何かなすつてお出でなさるんでせうね」
小商人は工夫等のやうな不作法なことは有繋にいはぬが夫でも少しは戲談の口調でかう尋ねた。
「これでも私は商賣人なんですよ」
商賣人といふ女の返辭は車中の耳目を峙てしめた。商賣人といふことを解釋した工夫等は前よりも遠慮なしに饒舌つた。それでも女を赤面させるには足りなかつた。車中の一切を餘所にして襟卷に顎を埋めて居た彼も水戸と聞いて少し首を擡げた。さうして遂賑かさにひかされて此も耳を峙てた。悲しい時でさへも人は笑ふことを禁じえぬのである。又一度立場へ止つて馬車は目的地の或町へ近づいた。彼は町の入口で降りた。頭はまたすぐに商賣のことが一杯に成つて自分の家へ志した。破れた垣根を見た時には彼は兩眼に涙を催した。さうして一層其心を興奮させた。
強い西風は夕の空を一杯に染めて止んでしまつた。彼は夜深まで靜かな室内に火鉢を擁して老いたる父母の爲に概況を語つた。彼の母は前途を危ぶんでこま/″\と注意を與へた。うつかり呑口をもとからひつこ拔いて酒でもこぼさない樣にといふことまでいつて父と彼とを笑はせた。彼は噺の序に異樣に彼の記憶に殘つた馬車中の女のことを語つた。彼の父は其一端を聞いて想像が出來た。狹い町には此の女の評判は行き渡つて居たのである。その女は町の者で非常なあばずれである。一旦婿をとつたが到頭いやだ/\で通してしまつた。女の家の財産と一皮むけた女の縹緻とは婿の心を強く牽いたのであるが女の我儘には父と雖手がつけられないで遂に離縁といふことに成つてしまつた。女の父は婿の去つた時家の金箱を失つたといつて嘆息した。そんな風で後に東京へ飛び出して勝手に電話の交換局かなどへはひつて遂に有勝な男との失策をして病氣に成つて家へ歸つて來た。療治をして居る間は青褪めた顏をして有繋に悄れ切つて居た。さうすると父も可哀想に成つて本氣に勵まして醫者に通はせた。二ヶ月計で頬には段々紅がさして來てまた以前の身體に成つた。さうすると何時の間にか化粧の仕方を氣にするやうに成つて隣づかりで居た小學校の教員と怪しい仲になつた。それから到頭一緒に遁げて教員の出た水戸の地へ落ちついたのである。父の家業が穀屋であるので此度は辛棒出來るからと父へ泣きついて幾らかの資本を貢いでもらつて小さながらも水戸で穀屋の店を開いて居る。教員といふのは猫のやうな男なのに女は反對の勝氣な性質ではあるし自分が資本を拵へたといふので世帶のことは一切女の切り盛りであるとかいふのであつた。彼は合點が行つた。それと同時に自分が此度開業したら直ぐ手拭の一本も持つて行つて醤油の一樽も買はしてやらなければならぬとかういふ考がふと胸に浮んだ。さうして其瞬間に今まで動搖して居た心が楔子を打ち込んだやうにきつとした。斧の刄から飛ぶ木材の一片が地上に落ちて居たとて何人の注意をも惹かないであらう。然しながら其一片と雖此を楔子に削る時大厦の柱をも堅固にすることが出來る。今彼の胸に浮んだ考は餘りに普通でさうして又餘りに陳腐であつた。けれどもそれが彼の現在に於
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