く、『モト山』が居なかつた、『モト山』といふのは伐木を業とするものゝ稱である、北原は『キタツパラ』といふのである、
 不動堂の損木が拂下げになつて枝だけは念佛講の爺さん婆さんで貰つたといふことである、歸りがけに見ると念佛衆の中の『モト山』が二人ではたらいて居た、一人は隣の瘤爺で焚火の側で鋸の目を立てゝ居る、一人はカシラといふ小男でねじ折れた木に乘つて枝を伐つて居る、カシラがいふのに、二十一の時に鴉の巣を捕りにこの木のテツペンまで登つたつけ、と念佛衆といふは難有いもので貰ひたいといはなくつてもみんなが呉れるつていふんだからたいしたもんだ、これだけの枝ぢやしばらくあたれらあ、明日は初午だから仕事は休まなくちやならねえ、去年の初午にや鋸をはねらかしつちやつて馬鹿な目に遇つちやつた、などゝ獨言をカシラがいつて居る、
 正午過ぎ、無闇に雜誌を披く、
 酒糟を賣りに來る、妹買ふ、
 頭の具合惡し、暫らく横になる、松葉を掻く熊手の音がガサ/\と聞こえる、
 平方の祖父來り『モト山』來る、
『モト山』と共に眞木調べに行く、刺の生えた木をなんだと聞けば、『ウコギバラ』といふのだといはれた、
 夕方表へ笹を三本立てゝ上の所を一つに結ぶ、これはけふの祭りの例である、うちの福の神樣がけふ表から出て行くのださうである、十二月になると裏から歸るので笹も裏へ立てる、この笹を立てるので笹神祭と呼んで居る、麥飯を焚いてこの笹の上へ供へまつるのである、
 夜母下妻より歸る、妹の婚姻に就いて用意のためけさ行つたのである、
『ウコギバラ』と五加木と同じものかどうかと思つてランプの下で歳事記を披いて見る、五加木といふものは自分は見たことがないからである、
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春、うの部
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〔二月〕 五加木 〔蘇頌圖經〕五加木、春苗を生じ、莖葉共に青し、叢をなす、
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 とある、別物であらう、
 朝、茶の子餅、餡鹽の如し、
 晝、卵子燒、
 夜、麥飯に冷汁をかけて喰ふ、里芋、
 牛乳二合、
 足長蜂の巣のやうな三椏の蕾ひらく、
 庭とこの芽外皮を破り相對して延ぶること五分、中に花を抱く、
 麥ます/\青し、

 七日、土曜、快晴、西風吹く、
 珍らしく霜柱立つ、梅花二三片散りたるおもしろし、
 松葉を拂ひたるため庭あらたなる心地す、
 朝飯九時過ぎ、鮒の甘露煮、豆腐汁、麥飯
 先生の遺稿閲覽期日今日にて盡く、更に見返して送る、
 火鉢の側にてホトトギス六七册披き見る、九月十四日の朝の記くり返し/\見る、
 母、妹、下女スミツカリを拵へる、これは大根下しと熬り豆と、酒糟と、酢醤油とで煮たものである、初午にはこれと赤飯とがつき物である、
 藁苞十ばかりを作つてスミツカリを入れてうらの稻荷や氏神へ供へる、表の廂へも二つ投げ上げる、
 晝飯、小豆飯、スミツカリ、卵のふわ/\、
 土間では餅つき、明日のお天念佛に念佛衆へやるのださうだ、
 おせいとおふくが妹へ白足袋二足つゝ[#「つゝ」に「ママ」の注記]持つてきた、
 久々で友人を訪ねた、
 椚林のなかを過ぎて隣村の隣村である、在宅、鉢植の梅が疊の上に散らばつて青い枝が下を向いて居る、この友人といふのは理科大學の生徒であつたが助膜炎を患へてから退いて静養しつゝあるのである、
 近ごろ獲たのだといつて鷄の膓から出た絛蟲と、絛蟲の棲息して居た膓の内壁と、ホウボウの頤に居た寄生蟲との三つを罎に漬けたのを見せられた、いづれも自分には珍らしいがホウボウの寄生蟲の大なること一寸許なるに至つては驚かさる[#「さる」はママ]を得ない、どこに居ても研究の材料はあるのだがなか/\思ふやうに研究ができないと言はれた、
 草餅を馳走珍らし、
 夕方になつて歸る、
 夜麥蕎、
 うら庭の木瓜蕾ふくらみて赤く、桔梗は紫に、わすれ草は青く萠ゆ、霜掩の下に牡丹の芽のぶること一寸五分、

 八日、日曜、曇、折々日光を見る、寒し、
 昨夜よく眠らず明方うと/\として醒む、朝のうちに皆葉へ用足しに行く、不在、
 郵便秀眞より封書、狂体十首を評したのである、夜一時十五分擱筆とある、徹夜することがたび/\であるさうだ、蕨より一つは先生の遺稿二號、一つは嚴君床上げの祝をしたといふはがき、
 午後勝手元賑か、お天念佛の衆へ五目めしをおくるためである、
 うしろの坪に念佛の大鼓が聞える、この日爺婆若返つて騷ぐためしである、
 日のあるうち風呂に入る、きのふ初午にて風呂を立てないのが例なのでけふは早くたてたのだ、
 足の甲を爪でゴリ/\掻く、牛の舌のやうにサヽクレ立つ、
 夜月明かにしてまた雲掩ふ、皆葉へ行く用足る、
 明日他出の用意、脚絆、足袋、
 朝牛乳、晝小豆飯とヤマべ一串、夕五目めし、
 この日はじめて鶯を聞く下手なり、

 九日、月曜、陰鬱、寒さ冬の如し、
 水戸まで行くのではやく出なければ遲くなるだらうと母に起されて起きる、
 飯をくつて居るとお天念佛の鐘鳴る、『粟餅もつてこ、粟餅もつてこ』といつて叩くのだと母がいつた、きのふは米の餅、けふは粟の菱餅を供へるのである、
 燒卵、牛乳、餅二つ、
 草鞋脚絆にて出立つ、途中から人力車に乘る、鼻の反つた片目の相の惡い車夫であつたが下館の入口で默つて下してしまつた、
 午後○時二十分下館發車、
 岩瀬驛にて下車、野村大島の二氏と婚姻の打合せをなす、二人とも媒酌人である、二時間ばかり話して三時半水戸へ、
 汽車で見たもの二つ三つ、
 洋服出立の男燧石にて卷煙草に火を付ける珍、窓から煎餅を買ふ爺ゆる/\と財布の紐を解く、人のことでももどかし、向き合ひに腰かけたる夫人樒柑[#「樒柑」に「ママ」の注記]の皮へ吸殼を吹く妙、
 水戸に入る、梅いまさかり、
 弘文社にて父に遇ふ、家を出た儘もう十日ばかりになるからけさは是非共歸らうと思つたのだが待つ人があつて果さなかつたのだといはれた、婚姻も十四日と極つて居るのだから、内も忙しいなどゝいふことを話す、弘文社に泊る、
 夕飯、麥飯、豚汁、酸味つかり、
 夜、橦木町に從兄を訪ふ、不在、公園に行く、春雨ちら/\としてやみまたちら/\としてやむ、梅はうすらにぼんやりと白く見えた、自分の外に人はなかつた。

 十日、火曜、快晴、寒からず、
 四時に目醒む、雨ざあ/\と降る、蛙鳴く、
 六時起床、けさだけ冷水浴やすみ、
 火鉢を擁して雜談、蛙のいま鳴くのは土中に在りて鳴くのだといふこと、鋸で鯰を捕るといふこと等、
 八時二十分發車、
 仙波兵庫といふ男が同室に乘込んで居た、父舊知だ相だ、代議士になつたのでみんなが不思議にして居たのである、尤も二十三年このかた選擧のたび毎に候補に立たないことがなかつたさうだ、つまり根氣で成功したのだ、しかし人物が屑なので困る、
 雨がやんだ、空がはれかゝつた、笠間驛へつく、
 父はこゝに下車、叔父の家へ行くのである、自分は乘りつゞける、
 岩瀬で仙波は下りた、紫の褪めきつた風呂敷包と、破れた鞄とを持つて居た、
 夕方にやうやく家へついた、表の廣間に妹の仕立物がならべてある、かね/″\見たいと村の者がいつて居たので女房達を呼んで見せたのだ相だ、もう大勢かへつた趾[#「趾」に「ママ」の注記]で三四人しか居なかつた、茶の間には茶碗や盃が狼藉として居る、一升も熬つた豆が忽ちに平げられたといふ話である、
 子供達が學校から歸つて見に來た、彦といふ七八つの兒が感に堪へたさまで二拾錢銀貨二つかけた位は出たらうといつたので大笑ひをした、
 庭の梅散りしきて白し、

 十一日、曇、泣き出しさうなり、
郵便左千夫より、日本週報課題春雨の歌に就いて詳細の論である、
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……今出たのを見ると君のは意外に少ない……君のは四首や五首ではあるまい、外の歌はどんな歌か見せ給へ、例令人々考が異りたりとて半數以上を削るは削る方が無理か詠者が無理かお互に少し注意せねばならぬと思ふ、實際歌がよくないとすれば半數も削られるやうな歌を送るは選者を困らせること少なからず、同人間ではこの邊少し考へねばならぬ……
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 これがその冒頭だが、自分の作つたのは二十首で入選の歌は四首、半數どころか五分の一のみ、これは作者の惡いのであつた、返事を書かと[#「書かと」はママ]したが筆が澁つたのでよす、かういふことはたび/\である、頭のわるいこと醉へるが如くである、
 午後、至急の郵便を出すため宗道へ行く、斬髮、夜に入りてかへる、
 甘酒を作るために焚いた飯へ餡をのせてくふ、卵のふわ/\、葱と鰌の汁、
 樒柑[#「樒柑」に「ママ」の注記]の霜よけ、牡丹の霜よけ取拂ふ、
 梅やゝだらける、
 自分の座敷へ箪笥や長持を運び込まれたので急に狹くなつた、

 十二日、木曜、朝雨、忽ちにして霽、
 午後、妹の鏡臺に手入れする所があつたので杉山の建具屋へ行く、貧乏な淋しい店先で自分はかゞんだまゝ見て居ると建具屋が突然立つて勝手の戸をあけるや否やひどい叫び聲をした、火が一面に燃え揚つて居た。女房が釜くどの前へ籠をころがしたまゝで水汲みに行つたうちに火が燃えしや[#「しや」に「ママ」の注記]つて、籠の松葉へついたのだ相だ忽ちのうちに消しとめた、建具屋は頻りに怒鳴つて怒つてゐる、女房は困つた顏でぼんやり立つて居る、隣のものもかけてきて立つて居る、火事騷ぎとしては尤も小さな騷ぎだが騷ぎは騷ぎであつた、半燒の物件は左の如くである、
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一、竹籠、一、松葉一籠、一、古手拭一本、
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 夕方左千夫へ返事の稿をつぐ澁る、やめ、
 この日の來客中岫のねえさん、儀理を述べかた/″\妹の附添を連れて來た、羽生の叔母女の子を連れてきた、下妻に居る祖母も來た、仕立物を出して見せる、をととひ來た連中がうがひ茶碗を丼と見、黄八丈の夜具を黄縞の木綿と見て行つたものがあつたなどといふ話をして笑ふ、妹はみんなに仕立物を引つ張りまはされるので汚されては大變だと思つて手を握つたといつて居る、
 隣村から女房ども二人で來た、見て居たら書院へ行つて床の間へ腰を掛けた、
 朝、蕎麥、晝、鮒の洗ひ、夕、鯉こく、[#地から1字上げ](明治三十六年)



底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
入力:林 幸雄
校正:伊藤時也
2004年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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