1−87−88]瑰の花を出して一つ一つランプの下に並べた。障子を開けて出ると帳場がすぐ下に見おろされる。此帳場といふのは天井を一つぶち拔いてあるので其天井は二階の天井と一つに成つて居る。夫故二階の客間から出ると勾[#「勾」は底本では「曷−日」]欄があつて勾欄の下に帳場が見おろされるので劇場の棧敷から土間を見るやうに出來て居るのである。帳場のさきには勝手が見える。竈の側ではさつきの女が串へ立てた魚の切身のやうなものを燒いて居たがそれを箸でおさへて皿の上で串を拔いたら襷を外して四つに折つて帶の間に挾んだ。左にお鉢を抱へて右に膳を持つて立ち上つた。余はそつと障子を締めて蒲團の上へ坐つた。此夜は客といふのは余一人であるので別に支度もしなかつたから冷たくなつたが此で我慢をして呉れというて茶碗には小豆飯が堆くつけてある。女を見ると紺飛白の單衣に白地を重ねて居るのであつた。さつき裾から白く見えたのは此白地の丈が長かつたからに相違ないのだ。紺飛白も幾度か水をくゞつて紺が稍うすぼけて居る。此野暮臭い支度をして居ながら女は端然として坐して居る。やつぱり美人である。余が箸を手にした時に女は※[#「王+攵」、第3水準1−87−88]瑰の花に氣がついてそれを手にとると共に何處で採つた花かと聞くので余は途中の西三河の海岸でとつたのだといふと「美しいものでございますノ、花といふものは、花を見て居るとなんにも要《い》らんやうな氣が致しますノといひながら指の先で花瓣を掻き分けながら鼻へあてたりして「かういふ花が海邊にひとりで咲くのでございましようかといつて驚いて居る。女は指の先までも色が白い。「葉も賤しい葉ではございませんノといつて感に堪へたさまである。花を抱へるやうな形に出た葉はぎつしりと幾重にも重つて居て其青さはともし灯の光に更に鮮かである。余は此女が葉の美しさを褒めやうとは寧ろ意外であつた。余は小豆飯へ箸をつける。箸は杉の太い丸箸で本もうらもない。堆い小豆飯には殆んど困却した。小豆飯の塊が思はずぽろりと膝へ落ちた。見られはしないかと思つてみると美人は※[#「王+攵」、第3水準1−87−88]瑰の花を手にした儘落した小豆飯には氣がつかぬ樣子である。
二 美人
翌朝女が茶を持つて來た處を見ると折目のついた紺飛白の單衣に帶をきりつと締めて裾に白地が覗き出しては居なかつた。二言三言いひ交した後女は余を導いて三階にのぼつた。三階は雨戸が立てきつた儘で闇い。障子だけがほのかに白い。雨戸の隙間から細くさしこむ日光は障子へ赤く映つて居る。女は南の戸袋の所でサルを外して戸を一枚あける。雨の濕りで戸は意外に堅くなつて居る。兩手へ力を入れて漸くのことで二尺ばかりあけた時に女の手の平は赤くなつた。外を見ると明るい空は青く澄んで一片の雲翳もない。佐渡は漸く晴れたのである。三階の下からは瓦屋根がつゞいて其先は小さな入江である。碇泊して居る船の檣が汀に近く五六本立つて居る。昨日の浦といふのが此の入江のことである。入江の右は畑らしい岡が岬のやうに出て其先に樹立の繁茂した小さな島がある。女は岡を指して「アレは畑でございますがノ、アノずつと出ました先の蔭の所は磯でございましてアノ島は矢島經島と申しましても一つは此所からでは隱れて見えませんが其島と丁度向合になつて居ります所に冷たい水が湧いて出ますので夏になりますと小木のものがあの磯へ素麺冷しにまゐりますというた。必ず素麺を持つて遊びに行くといふのは感じがいゝ。余は此の女に白地の浴衣を着せて白い手拭をかぶせて素麺をさらさして見たいものだと思つた。三階から見る小木の港は新築した家ばかりで三階のすぐ下には僅ばかりの空地があつて燒木杙が立つて居る。傍には小さな土藏が燒け殘つたといふやうに壞れた荒壁が赤く焦げて居る。女のいふに小木の港は遠からぬ前に大火があつた。火は此の燒木杙の邊から發したので此宿は眞先に燒けて家人は何一つ救ふことが出來なかつたとのことである。「單衣位でございますとノ、どうもなりますが冬の物はよう出來ませんと女はいふのである。女の衣物も丸燒になつたのである。女は余が今日の行く先を尋ねるので余は赤泊の濱まで行く積であるが途中に大崎といふ所がある筈だから其所で博勞の家をたづ[#「づ」は底本では「つ」]ねようと思ふのである。其博勞といふのは此佐渡へ渡航の汽船で知己になつて夷の港では枕をならべて泊つたことがあるのだといふことまで噺をすると赤泊ならばもう近い所故ゆつくりしても決して大事ないといつて更に「博勞さんといふのは小柄で大きな聲を出す人でございましやうといつた。さうだそれで反齒な男だといふと「アノ博勞さんが何時か途中から雨に逢うたと申しまして簑を頭からかぶつて參つたことがございます。佐渡には道中簑と申すのがございましてノ
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