いふ人が來たなら瀧へ案内をして返せといひ置いては出たのだといつて獨で悦んで居る。縁に腰を懸けて庭を見ると一枚の筵につやゝかな著我の葉をならべて其上に赤く染めた糸が二括りばかり干してある。筵の先には亂雜に手を建てた隱元《いんげん》が下葉は黄色に枯れて莢はまだなつて居る。博勞は板の間に※[#「蓙」の左側の「人」に代えて「口」、363−13]を敷いて「赤泊は俺が案内してあげる。赤泊の宿屋のとつゝあんは能う物を知つて仰山話が好きだ。丁度赤泊へは越後の仲間が牛買に來て明日あたりは歸るといつて居たから俺が話をして其船へ乘せてあげる。まあゆつくり休息して行けといふので兎にも角にも草鞋をとつてあがる。部屋のうちは仕事衣やら穢い着物が亂雜に引つ掛けてある。天井からは煤が垂れて居る。其煤の天井から吊つてある※[#「竹/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]棚も漆で塗つたやうである。其棚には蝮蛇の皮を剥いて干したのが竹串に立てゝある。此部屋で白いものは此の蝮蛇の串ばかりである。今とつた梨だといつて博勞が籃のまゝ余が前に梨を薦める。自分はさつきの噛りかけを一寸手でこすつて皮の儘むしや/\と噛りつゞける。余は拇指の爪が非常に延びて居たので其爪の先でぽつり/\と皮をむいて見た。鋲の頭のやうな小粒が一つ/\板の間へ落ちる。博勞は氣の長いことをするのうと見て居たがアヽ庖丁を出すのであつたと此時漸く穢げな庖丁を手でこすりながら出して呉れた。梨はがり/\と石のやうな梨であつた。博勞の娘らしい十三四の子が裏戸から南瓜を抱へてはひつて來た。博勞はあゝ丁度いゝ處だ生憎婆さんが居ないからと自ら立つて爐へ榾を焚きつける。爐は余が居る板の間に近く一段低く造つてある。娘は默つて南瓜を切りはじめる。堅い南瓜は小さな手の力では容易に刄が立たぬ。布巾で庖丁の脊を押したら漸く二つに割れた。娘は自在鍵を一尺ばかり下げて鍋を懸ける。黄色に刻んだ南瓜が鍋一杯に堆くなつて葢はぬれた儘南瓜の上に乘せてある。焔は鍋の尻から四方に別れて鍋蔓の高さまで燃えあがる。遙かなる地の底からでも出るやうな微かな湯氣が黄色な南瓜の中から騰りはじめる。鍋は沸々として煮立つと突き上げられて居た蓋が自ら鍋と平らにさがる。娘は榾の先を長い火箸で突つ崩して榾を先へ出したら焔が一しきり燃えあがつた。娘は小さな躰へ小さな筒袖を着て突き膝をして居る。赤い襟から白い可愛らしい顏を出して居る。此が博勞の娘かと思ふ程可愛らしい子である。火箸を持つた手を見ると指の先が赤く染つて居る。鍋は更に沸々として汁のとばしりが四方に飛ぶ。余は南瓜が佳味《うま》さうだといつたらこんなものが好なのだらうかと不審相に娘がいつた。不味いものが好なら佐渡の婿になつて十日も居るがいゝと博勞は大きな口を開いて笑ひながらいつた。榾の煙が靡いたので娘は長い火箸へ手を掛けたまゝ笑つてる目をしがめて遙か後ろへ斜めに身を反らした。

      四 牛の荷鞍

 博勞に跟いて小山を辿る。素足に草鞋を穿いた博勞の踵には赤く腫物が出來て居てぽつちりと白く膿を持つて居る。其腫物を見ながら跟いて行く。博勞は此日も向う鉢卷である。夷の港へ渡る汽船の甲板でも遂に此鉢卷はとらなかつた。博勞の立ち止つた所から下に深い谷が開けた。遙かに木立の繁茂した間から一括りの白糸を又幾つかに裂いて懸けた位な瀑が見える。瀑は隨分の長さのやうであるが上部も下部も枝に遮られて見えぬ。此が博勞自慢の白岩尾の瀑である。博勞は瀑壺まで行く氣があるかと聞くので余は是非共行つて見たいものだといふと彼はすぐに蕎麥の花を掻き分けておりはじめた。蕎麥の畑は頗る急斜面で曲りくねつておりなければ足の踏み處がしつかとしない。谷へおりると水を渉つて行く。水流は至つて狹い。石があれば石から石を跳ねて行く。水の深い所は岸の芒の根へ草鞋を踏んがけて行く。芒の根は草鞋が辷る。博勞の辷つたあとは更に辷る。其辷つた時には薊でも芒でも攫んで躰を支へねばならぬ。佐渡貉といふ位で此邊にはむじなの穴が仰山あつたものだがみんな獵師が打つてしまつて今では一つも居なくなつたと博勞が獨言のやうにいひながら行く。漸く瀑の下まで行きついた。仰いで見るとこゝではさつき木の枝で遮られた下の部分だけが見えるのであとはちつとも分らぬ。惜しいことには水が足らぬといふと雪解の頃ならさつきの處から見るのに水は多し木の葉はなしそれは立派なものだと博勞は辯解する。荊棘の間をもとへもどる。躰を屈めると荷物がぶらつと胸へさがつて蓙が前へこける。からげた尻へは岩打つしぶきが冷々とかゝる。博勞は別な方向をとつて芒の中をのぼる。手で押し分けた芒は足で二足三足踏みつけて進む。余は芒が再び閉ぢないうちと博勞の後へくつついて行く。うつかりすると博勞の蓙で目をこすられる。漸く小徑へ出た時には
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