でしかない小さな牛である。孤島の産物は孤島相應の躰格しか持つことが出來ないものと見えて此間中から見る牛は殆んど狗ころでもあるかと思ふ程小さなものばかりである。亭主は此所でも喋舌りはじめた。佐渡の牛は藁沓を穿かなくても自由に山坂を歩く。それが便利だといふので仰山飛彈の國へ賣れる。飛彈の國へ牛を曳いて行つたものは谷を籠で渡されることがあるが渡しの途中で綱がだん/\たるむとみんな眞蒼になつて籠が向へついた時にはもう死人のやうになつてしまふ。此所の人はどこへ出るにも船だから海はちつとも驚かないが飛騨の籠渡しでは慄へてしまふ相だと亭主がいつた。岸から船へ板を渡して水夫が三人ばかりで牛を船へ引つ張り込む。牛は板を渡つても船へはどうしてもはひるまいとする。さうすると一人の水夫が後から牛の臀をぐつと持ち揚げて押し込む。一杯に糞のついた臀でも構はずに持ちあげる。牛が悉く積まれた時余は平内さんに別を告げて船へ乘つた。平内さんは此時は鉢卷はして居なかつた。水夫の一人は余の草鞋を汀の水でざぶ/\と濯いで舷へ括りつけてくれた。十一反の白帆が檣に引き揚げられると船はゆらり/\と岸を離れる。舳からとり舵と船頭が大聲で呶鳴ると舵がぎいつと鳴つて舳が稍南の米山へ向いた。船はゆるやかに搖れて搖れる度に赤泊の漁村の上に五寸一尺と連山が聳えて來る。兩方の舷から屋根を葺いたやうな櫓といふもので船は掩はれて居る。其櫓の中心から檣が立つて居る。余は櫓へ乘つて檣のすぐ下で横になる。空は水の如く澄んで居る。海は空の如く靜かである。空氣は冷かである。此の冷かな空氣を透して日光がぢり/\とさす。白帆は余がために日覆の如く此日光を遮るのである。白鳥の翼でなでるやうな軟風が時々そよ/\と渡つて來る。白帆はふつと膨れると耳もとで帆綱がぎり/\つと鳴つてやがてばさ/\とたるむ。船頭は余の近くで舵へ手を掛けて悠然と煙草を燻らして居る。余は日のあるうちに寺泊へつけるかと聞いたらいゝや此牛は柏崎へ積んだのだ。さうさ此の鹽梅では夜中でなければ柏崎へはつけまいといふのである。赤泊を出帆する時に舳を米山に向けたのを變だと思つたのであるが此れは以ての外の失策をしてしまつた。寺泊へ渡つて日頃目について居た彌彦山へ登らうと思つて居たのであるが柏崎からでは十一里も戻らねばならぬ。もう悔いても間に合はぬ諦めるより外はない。余は荷物を枕にしてうと/\
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