たには彌彦山が皺一つ/\も數へることが出來る程近く見えて其後ろに連亘して居る越後の山々も今日は明かである。余等が歩いて居る小山の裾に迫つて三角形の眞白な帆を掛けた船が一つ徐ろに其紺碧の水を辷つて走る。白帆も日光のさし加減と見えて眩きばかりかゞやく、博勞は明日も日和だといつた。芒の穗を分けながら山をおりる。海が一歩づゝ狹くなつて木立のあなたに全く見えなくなつた時に僅かばかり水田のある所へ出た。博勞は突然あゝ能があるといひながら駈け出した。余は合點が行かなかつたが一所に駈け出した。田に添うて茂つた深い木立に入らうとした時に余の耳に幽かな笛の音が聞えた。木立に入ると大きな寺がある。本堂の廊下には人が一杯になつて見える。沓脱の左右には婆さん達が小さな店を出して通草《あけび》や菓子を並べて置く。平内さん能う來たがもう二番濟んだと其の内の一人の婆さんが博勞を見掛けていつた。アヽさうかと博勞は口癖の大聲を出して俺が赤泊へお客さんを案内して來たといひながら素足の草鞋をとる。余もごた/\と一杯に轉がつて居る下駄の間に足を踏ン込んで草鞋の紐を解く。兩掛の荷物を手に提げて段を昇らうとして見ると立ち塞つた人の頭の上に紙が貼りつけてある。番組と書いてあつて三番目には三井寺とある。博勞は荷物をこゝへ頼むがよいといつて余の荷物をとつて自分の草鞋と余の草鞋とを一つに括つて婆さんに渡した。ぎつしりと詰つた人の後に二人は漸くに立つた。見ると此の本堂といふのは新築したばかりでまだ壁の上塗もしてない。中央の板の間を殘して左右はそこにも人がびつしりと坐つて居る。廊下も前の人は皆坐つて居る。女や子供も交つて居るが膝へ抱かれた子供迄が大人しくして居る。正面には白の幔幕が張りつめてあつてチヨン髷結つた七十以上と見えるひよろ/\した老人と若者とが麻裃をつけて端然として居る。鼓が足もとに置いてある。幔幕の際には此外坐つて居るのが四五人ある。板の間のこちらの隅には青竹を折り曲げて櫓の形に組んだものが立つて居て小さな釣鐘の形が下つて居る。釣鐘からは長い紐が板の間へ垂れて居る。本堂のうちは此丈である。軈て老人が鼓を膝へとると若者は鼓を左の肩へとる。赤い紐がだらつと老人の膝からさがる。老人は笹の葉を押し揉んだやうな掛聲をしぼり出して右の手を徐ろに一杯に擧げて打おろすと鼓はパチツといふ音がする。若者は太い聲を掛けて斜に打あげる
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