い可愛らしい顏を出して居る。此が博勞の娘かと思ふ程可愛らしい子である。火箸を持つた手を見ると指の先が赤く染つて居る。鍋は更に沸々として汁のとばしりが四方に飛ぶ。余は南瓜が佳味《うま》さうだといつたらこんなものが好なのだらうかと不審相に娘がいつた。不味いものが好なら佐渡の婿になつて十日も居るがいゝと博勞は大きな口を開いて笑ひながらいつた。榾の煙が靡いたので娘は長い火箸へ手を掛けたまゝ笑つてる目をしがめて遙か後ろへ斜めに身を反らした。
四 牛の荷鞍
博勞に跟いて小山を辿る。素足に草鞋を穿いた博勞の踵には赤く腫物が出來て居てぽつちりと白く膿を持つて居る。其腫物を見ながら跟いて行く。博勞は此日も向う鉢卷である。夷の港へ渡る汽船の甲板でも遂に此鉢卷はとらなかつた。博勞の立ち止つた所から下に深い谷が開けた。遙かに木立の繁茂した間から一括りの白糸を又幾つかに裂いて懸けた位な瀑が見える。瀑は隨分の長さのやうであるが上部も下部も枝に遮られて見えぬ。此が博勞自慢の白岩尾の瀑である。博勞は瀑壺まで行く氣があるかと聞くので余は是非共行つて見たいものだといふと彼はすぐに蕎麥の花を掻き分けておりはじめた。蕎麥の畑は頗る急斜面で曲りくねつておりなければ足の踏み處がしつかとしない。谷へおりると水を渉つて行く。水流は至つて狹い。石があれば石から石を跳ねて行く。水の深い所は岸の芒の根へ草鞋を踏んがけて行く。芒の根は草鞋が辷る。博勞の辷つたあとは更に辷る。其辷つた時には薊でも芒でも攫んで躰を支へねばならぬ。佐渡貉といふ位で此邊にはむじなの穴が仰山あつたものだがみんな獵師が打つてしまつて今では一つも居なくなつたと博勞が獨言のやうにいひながら行く。漸く瀑の下まで行きついた。仰いで見るとこゝではさつき木の枝で遮られた下の部分だけが見えるのであとはちつとも分らぬ。惜しいことには水が足らぬといふと雪解の頃ならさつきの處から見るのに水は多し木の葉はなしそれは立派なものだと博勞は辯解する。荊棘の間をもとへもどる。躰を屈めると荷物がぶらつと胸へさがつて蓙が前へこける。からげた尻へは岩打つしぶきが冷々とかゝる。博勞は別な方向をとつて芒の中をのぼる。手で押し分けた芒は足で二足三足踏みつけて進む。余は芒が再び閉ぢないうちと博勞の後へくつついて行く。うつかりすると博勞の蓙で目をこすられる。漸く小徑へ出た時には
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