鉛筆日抄
長塚節

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)東名《とうな》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小※[#「竹/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]《こわく》に

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例))ぼくり/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     八月二十九日

▲黄瓜
 松島の村から東へ海について行く。此れは東名《とうな》の濱へ出るには一番近い道なので其代りには非常に難澁だといふことである。磯崎から海と離れて丘へ出た。丘をおりるとすぐに思ひ掛けぬ小さな入江の汀になつた。青田があつて蘆の穗も茂つて居る。蘆のなかにはみそ萩の花がしをらしく交つて居る。畦を拾つて行くと田甫が盡きて小徑もなくなつた。仕方がないから楢の木の間を心あてに登つたら往來があつた。丁度いゝ鹽梅に鰌賣でもあらうかと思ふ男が天秤を肩に乘せた儘ぶらつと兩手をさげて左の方から坂をのぼつて來たから一所になつて噺をしながら歩いた。男は松島のホテルへ鰻を賣つて歸りだとのことである。此所らの近道は此邊の人でも知つて知らずだのに能くわかつたと彼はいつた。鰻賣が教へてくれた道を來たら雜木の間で低い草葺のたつた一軒家へ出た。縁先では白い手拭をかぶつた娘が一人で絲を小※[#「竹/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]《こわく》に掛けて居る。ぼくり/\と音がするので家のなかを覗いて見たら十五六の舍弟らしいのが土間で麥を搗いてるのであつた。余は此一軒家が何となく面白く感じたので縁の隅へ腰を掛けると娘は急いで小※[#「竹/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]と共に膝をずらして余に席を與へた。小※[#「竹/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]の側には胡瓜が五六本轉がつて居るので一本剥いて見たくなつたから無心をすると娘は小※[#「竹/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]の手をやめて戸袋の蔭から柄の短い錆びた鉈を出してくれた。此れで皮をむけといふのである。狹い庭には糠交りの麥が筵へ二枚干してあつて其先には鳳仙花がもさ/\と簇つて居る。其下が崕である。余はすゞろに興を催しながら鳳仙花の傍に立つて此の意外な庖丁を
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