一行の者も皆小便をした。草の中には羊齒の葉が秀てゝ既に枯れた自然生の芍藥も交つて居る。此所からすぐに海へ出る。岸は皆削りたつた大きな巖である。斷面には縱横に切れ目があつて恰も十文字に繩を掛た大荷物が問屋の庭に積み揚げられたやうな形である。小徑は此斷崖の上をめぐりめぐつて北へ走る。一行はばら/\になつて先達に跟いて行く。左を仰いで見ると鬱蒼たる山の巓は頭に掩ひかぶさつた樣で其急峻な山の脚は恰かも物蔭から大手を開いて現はれた人が奔馬をばつたり喰ひ止めた樣に此小徑で切斷されて居る。小徑については到る所青芝と糸薄が茂つて居る。さうして糸薄の中には疎らに赤松が聳えて居る。時々鹿に逢[#「逢」は底本では「蓬」]ふことがある。山蔭に居る鹿は能く馴れては居らぬと見えて屹度逃げて行く。一つか二つか離れて居るのがひよつこり人を見ると非常に狼狽して草村を跳ねて逃げて行く。糸のやうな脚で跳ねるのがふわ/\とした綿の上でも跳ねるかと思ふ樣に見えて如何にも輕げである。驚いて逃げる時にピオウと細い聲で鳴き捨てるのである。五六匹も揃つて居るといふと躰と躰と押し合ふ樣にして或距離の所まで行くとけろつとして何時までもこちらを見送つて居る。無邪氣なものである。鹿の尻はモツコ褌をはめた樣だなシといふ聲が又後の方から聞えた。大箱の岬といふ札の立つた所へ出た。急な山の脚が海へ踏ん込む前に青芝の小山を拵へて其小山の頂近くから截斷して海へ捨てゝしまつた時に恐ろしい懸崖が出來た。此が大箱の岬である。四つに偃うて覗いて見るとさら/\と僅に碎くる白波が遙かの下の方である。其遙かな下の方に小さなものが動くやうに見える。それがだん/\昇つて近づく所を見ると一匹の小さな蝶であつた。暫く見て居たら心持が惡いやうになつた。大箱の岬を覗くものは馬鹿だといふのだと道者がいつた。青芝は地にひつゝいた樣で綺麗である。鹿が此芝をくひに來ることがあると見えて豆粒のやうな鹿の糞がころ/\と轉がつて居る。青芝の上に休んで居ると何時の間にか蝶は懸崖の面を舞ひあがつたものと見えて小さな黄色い羽をぴら/\と動かしながらめぐりめぐつて鹿の糞へとまつた。際涯もない外洋を望むと今日ばかり波がないのかと思ふ程平靜である。余は一朝暴風が此平靜な海を吹き亂して雲と相接して居る父X線の先の先から煽り立てゝ來る激浪が此の大箱の懸崖に吼えたけびてしぶきのとばしりが此の
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