る。それと同時に女の一人位は拵へるのである。例令そんなことが無いにしても同年輩の誰彼と屹度夜遊に出掛ける。それがだん/\募つて來ると村の隅から隅までふら/\と押し歩いて小娘でもある家の風呂を覗くといふやうになる。兼次も年頃來た時には自然夜遊に屈託した。さういふ場合に兩親はどうするかといふと、自分が以前に其覺えがあつて格別惡いことゝも思はないし一向平氣といふのではないが仕方がないといふ位なものだ。それだから繩の一|房《ぼう》も綯ひ出すとか朝草の一籠も餘計に刈るとか仕事に差支がなければ怪我に一言もしみ/″\した小言などはいはぬが普通である。兼次が夜遊に屈託した頃兼次の家からでは離れて居るが同じ村のうちで幾らか暮しの樂な因業者の夫婦があつた。代々其家は仙右衞門といつたので其が訛つて「センネモドン」と呼ばれて居た。何時の間に誰が教唆したか所謂小若い衆と稱する兼次等の仲間が其家に惡戲をはじめた。丁度霜が二三度おりた頃で宅地へなつた柿で串柿を拵へて日南の壁へ吊したのがあつた。串柿は下で胡麻の殼を焚けばいつの間にか落ちて了ふといふので或夜そつと其串柿を外して散々いぶして復たそつと掛けて置いた。案の如く柿はそれから一つ落ち二つ落ちて今年の柿はどうかしたといふうちに滿足に乾上つたものはなくなつた。固より惡戲されたといふことは知らう筈がない。惡戲としては極めて成功したのである。惡戲者はつけあがつた。或晩薪や麁朶や日頃汗水垂らして掘つた木の根などが壁に堆く積んであつたのを大勢で持ち運び/\入口の戸を壓して一杯に積んでおいた。翌朝水汲みに出ようとした女房が見付けて騷ぎになつた。夫婦は火のやうになつた。口もきかずに半日かゝつてもとの壁際へ積み直した。若い衆の惡戲であることは分明であるが扨て手の出しやうがない。深く遺恨に思ひながら我慢をしてしまつた。おすがの家は此の仙右衞門の家のうしろで屋敷つゞきである。其近邊では一番物持で土藏も一つは立てゝある。近所隣のものは皆おすがの家の風呂を貰ひに來る。仙右衞門の蘭[が或晩風呂を貰ひに行くと若い衆がそこらに出沒して居るのを見た。そこで早速おすがの兄貴に告口をした。兄貴が誰だ/\といひながら裏戸へ出るとばた/\と五六人で遁げ出す足おとがした。然し此風呂場で追はれるのは始終あることで追ふ者も長追はしない。それは自分の家の娘に間違があつてはならぬといふのだから
前へ
次へ
全25ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング