夜遊ばかりしてけつかつて」
「さう「ツアヽ」等怒つからしやうがねえ。ゆんべ褞袍|盜《と》られつちやつたといふんだがな。人のうちへ忍び込んでどうしたのかうしたのつて人聞きもよくねえ噺だからまあ餘り騷がねえ方がえゝんだ。褞袍の一枚位仕方あんめえ。此れまでそんなことあつたんぢやなし、いふこと聽いたらよかんべえ」
「そんぢや任せべえ。兼こと連れて來てくろ」
 此れで褞袍の一件は濟んだ。其褞袍は其後盜んだ奴が元の所へ捨てゝ置いたので再び兼次の手にもどつた。兼次はそれを引被つて依然としておすがの許へ通つて居た。

         三

 暑さが漸く催して此から百姓の書入時といふ茶摘の頃までは何の噂もなかつた。春も八十八夜となつて草木のやはらかな緑が四方を飾るやうになるとみじめな姿で顧みられなかつた畑のへりの茶の木のめぐりも赤い襷の女共が笑ひ興じて俄かに賑かになる。さあ焙爐《ほいろ》の糊をかくのだといふうちに茶の葉が延び過ぎるといふ騷ぎである。兼次の家でも茶の葉が強くなつて、もう一日捨てゝおいたらとてもよりつからぬといふので隣近所と「イヒドリ」をして兎にも角にも一日に摘みあげる手筈をした。親爺は朝から焙爐へかゝつて居る。「イヒドリ」といふのは手間の交換でそつちからこつちへ一日仕事に來ればこつちからも一日仕事に行くことである。其頃兼次の家では婆さんが長らく老病に罹つて居た。丁度其日は藥がなくなつたといふので忙しい仲ではあるが鬼怒川を越えて一里ばかりさきの醫者の所まで行かねばならぬことになつた。親爺は毎日蒸し暑い焙爐の前で働いたので幾分ならずもう體が疲れて居る。焙爐を兼次に任せて骨休めながら一寸行つて來ようと思つたのであつたが兼次がいきなり
「ツアヽおれ藥貰ひに行つて來べえ」
 とやつたのでそれでも自分が行くとはいはれぬので澁々と兼次を出してやつた。街道は岡を越えて行く。畑には麥の穗が一杯に出揃つて快げに戰《そよ》いて居る。菜の花がところ/\に麥畑から拔け出してさいて居る。畑の境の茶のうね/\には白い菅笠がならんで麥の穗の上にふわ/\と動いて居る。そこからは幽かな唄の聲が麥の穗末のやはらかな毛から毛を傳はつて來る。空からも土からもむづ/\と暖いさうして暑い氣が蒸し/\て遠きあたりはぼんやりと霞んで居る。若い者の心はもうそわ/\して落ちつかない。兼次は急いで行つて來た。然し歸りには此
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