るい光明を見出す。子供等は海に飛び込み、川原に這ひ、葡萄畑にうたふ。人生至楽の季節である。
 たゞ一鉢の朝顔が縁側に置かれてある。
 父も寄り、母も寄り、子供等も集ひ来つて一輪の朝顔を眺むる。学校のない子供たちは時間から解放され、宿題から解放され、けさはじめて子供本然の素直さを取りもどして一鉢の朝顔を観ることができるのだ。
 南山の小径には木槿も咲いてゐる。菊はまだ早いが、芒の穂はすでに静秋の気をほのめかす。父の後からは牧場の仔馬を想はせるほどにぞろ/\と子供たちが走る。子供たちは今こそ教室の窒息しさうな空気からも、懶い課程からも解放されて、幸福な胸いつぱいに八月の朝の空気を呼吸しようとしてゐるのだ。
 父よ、母よ、玉蜀黍の葉はかゞやく。八月の子供たちの自由な、解放された魂のよろこびのやうに。

     *

 父よ母よ。弟が小川から釣つて来たたゞ一尾の鮠《はや》が洗面器の中に泳いでゐる。だが、兄も妹もぢつと一尾の小魚に全身の注意をこめてゐるではないか。何といふデリケートな鰭であらう。何といふ可憐な魚の呼吸であらう。見よその柄杓《ひしやく》一杯の水の底に八月の青空が映つてゐるではない
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 絃二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング