か。
父よ母よ。人間の作つた学校の冷たい扉から解放された子供たちは、神によりて作られた素直さを取りもどしてゐるではないか。かれ等は洗面器の水の底に八月の蒼穹を見出してゐる。八月の白雲を見出してゐる。
*
父よ母よ。真夏の空高く、高灯籠をかゝげつゝうたふ子供たちにとつて、盂蘭盆《うらぼん》はお祭にもましてなつかしいのだ。父と母ときやうだいたちが故郷の一つの家に集まつて、御先祖さまを思ふのだ。亡くなつた祖父、祖母を待つのだ。子供たちはお迎火を焚いて馴れぬ手に珠数をつまぐる。亡くなつた弟のことや、生まれたばかりで亡くなつた赤ん坊のことを思ひ出して可憐な涙を落す子もある。だが子供たちはすぐに悲しみからも解放される。子供たちにとつては亡くなつた祖父も、赤ん坊も、山の墓の下に生きてゐるんだ。遊んでゐるんだ。墓の下は広い、遠い、無限の世界なんだ。人間の世界よりももつと真理にかゞやいた世界なんだ。子供たちはその世界を見ることはできない。だけど祖父も赤ん坊もそこの世界に生きてゐるんだ。だから盂蘭盆になれば遠い世界から故郷の家に帰つて来るんだ。ちやうど子供たちが学校から帰つて来るやうに。
胡瓜の馬に乗つて、赤い酸漿《ほゝづき》の提灯をさげて遠い世界から帰つて来るであらうお精霊たちは、たとへばお伽噺の世界の人にも似てゐる。けれども誰一人故郷の家に帰つて来るお精霊を疑ふ者はない。夏はわたしたちの家庭全体が童話の甘美な、のどかな、おほまかな空気につゝまれてしまふのだ。大人も子供もなつかしい童話の世界に立ちもどるのだ。
*
八月はまたわたしたちを夢の世界に誘ふ。
南方の空に懸かる三つ星を見るごとにわたしは故郷の父を思ふ。
「あれは収穫《みのり》の星さまだ。両方の星さまが秋の収穫で、真ん中の星さまが収穫を担いでゐなさるのだ。秋になつて稲がみのればみのるほど真ん中の星さまは荷が重くなるので赤い顔をなさる。」と父は教へてくれた。
八月の空にはまた地平線から、地平線へと天の川が流れる。父は夜ごと牽牛星《ひこぼし》と織女星《おりひめ》を教へてくれた。恐らく日本中の子供たちが父の膝に抱かれて八月の夜空を、首の痛くなるほど眺めてゐることであらう。
父よ母よ。その愛子たちに八月の夜の大空を見ることを教へよ。そしたら秋になつて子供たちが学校に立ちかへつて行つても、子供た
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