る美しい樫の老木から、とつぜん炎が噴き出るのが見えたが、眼のくらむようなその光が消えるか消えないうちに、樫の木がなくなっており、枯れた切り株が残っているだけであった。翌朝そこへ行ってみると、その木がへんなぐあいに打ち砕かれていた。それは、衝撃で裂けたというよりは、まるい木製の細いリボンのようなものになってしまっていた。私はこれほど完全に破壊されたものを見たことがない。
この時まで私は、すでに明らかになっていた電気の法則を知らなかった。このときたまたま、自然哲学を大いに研究した人がいっしょに居たが、この災害に刺戟されて、電気や流電気の問題について、自分でつくりあげた理論を説明してくれたが、それは私には、新しくて、しかもびっくりするようなことであった。この人が言ったことで、コルネリウス・アグリッパ、アルベルツス・マグヌス、パラケルススなど、私の想像の君主たちは、ずっと蔭のほうに投げこまれ、こうして何かの宿命によって、こういう人たちがうっちゃられてしまったため、私は、例の研究を続けることに気乗りがしなくなった。私には、何ものもつねに知られない、知られそうもないようにおもわれた。長いあいだ私の注意を引きつけてきたことがみな、急につまらなくなった。おそらく私たちが若い時にいちばん陥りやすい一片の気まぐれから、私はさっそくこれまでの勉強を放棄した。そして、博物学やそのすべての子孫を畸形の出来そこなった子と見なし、真の知識の足もとにも寄りつけないえせ[#「えせ」に傍点]科学に対して、すこぶる軽侮の念を抱いた。こんな気もちで私は、しっかりした基礎に立っていていかにも私の考慮に値する数学とその数字に関係する研究の諸部門に、手を着けた。
こんなふうにして、へんなぐあいに私たちの魂は組み立てられ、こういうほんのちょっとした絆《きずな》に引かれて私たちは、繁栄か破滅かに向って出発しようとしているのだ。背後をふりかえってみると、性向や意志のこのほとんど奇蹟的な変化が、あたかも私の生命を護る天使が直接に示唆してくれたものであるかのような気がするのであるが、最後の努力は、そのときでさえ運命の星のなかで催して今にも私を包みそうな風雨を避けようとする、保身の精神によってなされたものだ。それが勝利を占めたことは、魂の異常な静けさや嬉しさからみてわかったが、これは私が、あの古くさい、ひとをすっかり悩ませる研究を廃棄した結果なのだ。それはこうして、私が、続けてやれば禍を、またそれに無頓着になれば幸福を連想させる、と教えられたことであった。
それは、善の精神の強い努力ではあったが、むだなことであった。運命はあまりに強く、その不変の法律は、私のまったくの怖ろしい破滅を命じたのだ。
3 運命の門出
私が十七歳になると、両親は私をインゴルシュタット([#ここから割り注]南ドイツにあり、むかしバイエルン侯国に属した――訳註[#ここで割り注終わり])の大学に入れることに決めた。それまでジュネーヴの学校に通っていたが、父は私の教育をしあげるために、私が母国の慣習よりも他国のそれに親しんでおくことが必要だと考えたのだ。だから、私の出発はずっと前から決まっていたが、その日が来る前に、私の生涯に起った最初の不運、いわば私の将来の不幸の前兆が来てしまった。
エリザベートが猖紅熱《しょうこうねつ》を患って、その病状が重く、危篤の状態にあった。その病気のあいだ、いろいろ相談して母に看病させないように説きつけた。母ははじめは私たちの懇願を聴き容れていたが、自分の娘も同然の者の命があぶないと聞くと、もう心配でたまらなくなってじっとしておれず、エリザベートの病床に附き添った。その、夜も眠らぬ介抱で、悪性の熱病もさすがに追放し、エリザベートは命拾いしたが、こういう無理が祟って、こんどは、看護したほうが致命的な結果を蒙ってしまった。三日目に母は病みついたが、その熱にはすこぶる憂慮すべき症状がともない、かかりつけの医者の様子から察しても、最悪の事態が気づかわれた。死の床にあっても、母のこういうけなげさや心の優しさは失われなかった。母はエリザベートと私の手を握り合させて言った、
「子どもたちや、私は、さきざきの幸福のいちばん確かな望みを、あなたたちがいっしょになるという期待につないできたのですよ。今となっては、この期待は、お父さまだけの慰めでしょう。かわいいエリザベートや、あなたは、小さい子どもたちのために、私のかわりにならなくてはいけません。ああ、残念だけど私は、あなたたちのところから伴れて行かれてしまいます。みんなと別れてしまうのは、ほんとにつらいわ。けれど、こんなことを考えるのは、私らしくもありませんね。喜んで死んでいけるように努力して、あの世で会うという希望にひたることにしましょうね。」
母は安らかに死んだが、そのおもざしには、死んでもなお愛情が湛えられていた。その最愛の絆があのもっとも取り返しのつかない禍のために断ち切られた人たちの感情、すなわち魂に生ずる空虚さ、また顔に現われる絶望を、ここに述べるまでもない。私たちが毎日見ていた母、その存在が自分たちの一部のようにおもわれていた母が、永久に離れ去ってしまった、かわいらしいあの眼の輝きが消え失せた、そして私たちの耳にあんなに聞きなれたなつかしい声のひびきが、沈黙に帰してもはや聞けなくなってしまった、ということを、自分に納得させるまでには、ずいぶん長い時間がかかった。こういうことは、初めの何日かの回想であるが、時が経って禍の事実だったことがわかってくると、そのときはじめて、ほんとうのやりきれない悲しみが始まる。しかも、その荒々しい手で親しい骨肉のだれかを断ち切られたことのない人があるだろうか。としたら、なんだって私は、人みなの感じている、また感じるにちがいない悲哀を語ろうとするのか。悲しみが己むをえないことではなくてむしろ気休めである時が、ついにはやってくるものだ。そして、口もとに浮べた微笑は、神聖冒涜と思われるかもしれないにしても、消え去りはしないのだ。母は死んだ。しかし私たちにはまだ、果さなければならぬ義務があった。私たちは、ほかの者といっしょに自分の行路を歩みつづけ、死の手につかまれないでいるうちは自分を幸運だと思うことを学ばなければならなかった。
こういう事件でのびのびになっていた私のインゴルシュタットへの出発は、ようやくふたたび決まった。私は父から、数週間の猶予をもらった。そんなに早く、喪中の家の死んだような平静をあとにして、生活のさなかに突入することは、神聖を冒涜するような気がしたのだ。私には悲しみは初めてだったが、にもかかわらずそれは私を仰天させてしまった。私は、あとに残された者の顔を見られなくなるのがいやだったし、殊に私のいとしいエリザベートがいくらかでも慰めを感じているところが見たかった。
エリザベートは、じっさい、自分の悲しみを隠し、私たちみんなの慰め役になろうと努力した。そして、生活をしっかりと見、勇気と熱誠をもって義務を引き受け、伯父と呼び従兄と呼ぶように教えられてきた私たち親子のために、献身的に勤めた。その微笑の日光を取り戻して私たちを照してくれたこの時ほど、エリザベートが魅惑的に見えたことはなかった。エリザベートは、私たちに忘れさせようとほねおることで、自分の歎きをさえ忘れてしまったのだ。
私の出発の日はとうとうやってきた。前の晩はアンリ・クレルヴァルが私たちといっしょに過ごした。自分も私といっしょに行って同級生になることを父親に許してもらおうと、自分の父親をしきりに説きつけていたが、だめだった。父親というのは、量見の狭い商人で、息子の抱負や野心を怠惰や破滅だと見ていた。アンリは自由な教育を禁じられる不幸を痛感し、黙りがちだったが、口を利いたときのきらきらした眼やその眼のいきいきした動きに、商売などのみじめなはしくれにつながれてはいないぞ、という、抑えてはいるがしっかりした決意を私は看て取った。
私たちは遅くまで起きていた。おたがいに別れるのがいやで、「では、さようなら!」と言う気にはなかなかなれなかった。やっとそれを言い、あいてをたがいにだましたつもりで、すこし休息するということを口実にして寝室へ引き上げたが、夜明けに私を乗せて行く馬車のところまで降り立って行くと、みんながそこに立っていた。父はふたたび私を祝福し、クレルヴァルはもう一度私の手を握りしめ、エリザベートは、手紙をたびたびくれるように念を押して頼み、遊びなかまであり友だちであった私に、最後の女らしい心づかいを見せた。
私は、自分を乗せて行く二輪馬車に身を投げ出し、すこぶる憂欝な考えにふけった。いつもやさしい仲間に取り巻かれてたえず喜びをわかちあおうと努めてきた私、その私が、今やひとりぼっちなのだ。私が行こうとしている大学では、自分で自分の友だちをつくり、自分で自分の保護者にならなければならない。今までの生活がいちじるしく引っ込みがちで、家庭から出ることがなかったので、新しい顔に会うことにはどうにもならぬ嫌悪感が先に立つのだ。私は、自分の弟たちとエリザベートとクレルヴァルが好きで、この人たちが「古くからの親しい顔」であったが、見知らぬ人たちと仲間になるには自分はまるきり適さないと思いこんだ。そんなふうに、旅に立つときは考えていた。しかし、進んで行くにつれて元気と希望がもりあがってきた。私は痛切に知識の獲得を願った。私は、家に居たころ、よく、自分の青春がひとところに閉じこめられているのをつらいと考え、世間に出て、よその人たちのあいだに自分を置くことを熱望した。その願いがかなえられた今、後悔するのはじつにばかばかしいことであった。
長くて疲れるこのインゴルシュタットまでの旅は、そのあいだにこんなことやその他いろいろのことを考えめぐらすひまがたっぷりあった。とうとう、町の高い白い尖塔が見えてきた。私は、馬車から降りて自分の孤独なアパートメントに伴れて行かれ、その晩は好きなようにして過ごした。
翌朝私は、紹介状を持って、おもだった教授たちを訪ねた。そこで偶然が――いや、私がいやいやながら父の居る家の戸口を後にした瞬間から、私に対して万能の支配力をふるった、あの禍の勢力、あの破壊の天使が――私をまず自然哲学の教授クレンペ氏のところへ導いて行った。クレンペ教投は無骨な男だが、自分の学問の秘密には深く浸りきっていた。教授は、自然哲学に関する学問のいろいろな部門を私がどこまでやっているかについて、質問した。私はなんの気なしに答え、なかばそれを軽蔑しなから、自分の研究してきたおもなる著述家として、煉金術者の名を挙げた。教授は、眼を見はって言った、「ほんとうに君は、そういう無意味なことを研究するのに時間を費したのですか。」
私は肯いた。すると、クレンペ氏は興奮して続けた、「君がそんな本に費した時々刻々が全部、まったくむだでしたよ。君は陳腐な体系と無用な名をおぼえこもうとして苦しんだのだ。なんてことだ! 糞の役にも立にぬことをやってきましたね。君がそれほど貪るように吸収したそんな妄想が、千年も前のもので、古いだけにそれだけ黴臭い、ということを、知らしてくれるだけの親切をもちあわせた人が、一人も居なかったわけですね。この開けた科学的な時代に、アルベルツス・マグヌスやパラケルススの弟子にお目にかかろうとは、夢にも思わなかったよ。さあ君は、研究をすっかり新しくやりなおさなくちゃいけませんぞ。」
そう言いながら教授はわきに寄って、自然哲学を扱った数冊の本のリストを書き、それをお買いなさいとすすめた。そして私が辞去する前に、つぎの週のはじめに、一般関係においての自然哲学の講義の課程にとりかかるつもりだが、同輩のヴァルトマン君が私と一日違いに化学を講義するはずだ、と語った。
私はべつにがっかりもしないで家に帰った。教授がこきおろした例の著述家たちを、私もずっと前から、無用のものと考えている、と言ってきたからだ。じっさい、ああい
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