る部屋に入っていった。女の人たちがまわりで泣いており、私もその上に身を屈めて、いっしょに泣いた。――この時にはどうもはっきりした考えが頭に浮ばず、自分の不運とその原囚をごたまぜに反映するさまざまなことを、考えるともなく考えていた。雲とむらがる驚愕と恐怖のために、途方に暮れてしまったのだ。ウィリアムの死、ジュスチーヌの死刑、クレルヴァルの殺害、今また、妻の殺害。そして、この瞬間にも、ただ二人だけ残っている身うちも、あの殺人鬼の悪意の前には安全でないことがわかった。父が今にもあいつに絞められて身もだえし、エルネストがあいつの足もとて死んでいるかもしれなかった。私は、こう考えて身慄いし、さっそく行動にとりかかった。ここを出発して、できるだけ速くジュネーヴに帰る決心をしたのだ。
 手に入れられる馬がなかったので、湖水を渡って帰らなければならなかったが、風が逆風で、雨は滝となって降った。とはいえ、夜も明けきっていなかったので、夜までにはむこうに着ける望みがあった。そこで、舟を漕ぐ男たちを傭って、自分も橈を取った。いつも、体を動かすことで心の悩みを忘れた経験があったからだ。しかし、こんどは、どうにも支えきれぬみじめさを感じ、じっと堪える心の動揺のあまりに、手足がいうことをきかなかった。私は橈を棄て、あおむけに寝て、浮んでくるあらゆる陰欝な考えに身を委した。見あげれば、私が幸福だったころに親しみ、今は影や回想でしかない妻といっしょに前の日に眺めたばかりの、風景が見えた。涙が眼から流れた。ひととき雨が止んでいたので、魚が水のなかで、幾時間か前と同じように泳いでいるのが見えたが、あの時は、エリザベートもそれを見たのだ。大きなだしぬけの変化ほど、人の心にとって苦痛なものはない。太陽が輝いて、雲が低く垂れれているかもしれないが、私には、どんなものも前の日と同じには見えなかった。悪鬼が私から将来の幸福の望みという望みを強奪してしまった。私ほど悲惨な者はかつてなかったし、こんな怖ろしい出来事も、人間の歴史のうえでたった一つしかないのだ。
 しかし、この最後の圧倒的な出来事に続いて起った事件は、もう詳しくお話するまでもないでしょう。私の身の上ばなしは恐怖の話であり、私はすでにその極点[#「極点」に傍点]に達し、いまお話ししなければならないことは、あなたにとってはただ退屈なだけです。ここでは、私の身うちが一人また一人と奪い去られたことを、知っていただければよいのです。私はひとりぼっちになってしまいました。私自身の力も尽きはてました。私はごく手短かに、この怖ろしい話の残りをお話ししなければいけませんね。
 私はジュネーヴに着いた。父とエルネストはまだ生きていたが、父は私かもたらした消息を聞いてぐったりとしてしまった。すぐれた慈悲ぶかい老人であった父が、今でも私の眼に見える! 父の眼はあらぬかたをぼんやりと見ていた。それはもはや魅力や歓びを失ったのだ。余生が少くなるにつれて、ほかのことにはあまり感情を動かさないで、残っている者にますます一心にしがみつく人が感じる、あのあらゆる愛情をもって溺愛したエリザベートは、父にとっては娘以上のものであった。老齢の父に災難をもたらし、不幸のために精根を枯らすように運命づけた悪鬼は、いくら呪われてもよい! 父はまわりに積み重なった恐怖のもとに生きていけず、存在の泉がとつぜんに涸れ、寝床から起き上れなくなって、数日のうちに私の腕に抱かれて死んでしまった。
 それから私はどうなったか。私は知らない。私は感覚を失い、鎖と暗黒しか私に強く迫るものはなかった。ときにはたしかに、若かった頃の友だちと花の咲いた牧場や楽しい谿谷をさまよっている夢を見たが、目がさめると牢屋のなかにいるのであった。憂欝は続いたが、だんだんと自分のみじめさや情況をはっきり考えるようになり、やがて牢獄から釈放された。人々は私を気ちがいと呼んだが、察するところ、幾月となく私は、独房に住んでいたのだ。
 けれども、私が理性に目ざめたとき、同時に復讐の念を取りもどさなかったとすれば、自由は私には無用のたまものであった。過去の不運が私を圧迫するにつれて、私は、その原因である自分のつくった怪物、自分の破滅のためにこの世に追い放ったあの悲惨な魔もののことを考えはじめた。そいつのことを考えると、私は、狂おしい怒りに捉えられ、そいつをつかまえてその呪われた頭に、これと思い知らせやれるようにと、願い、かつ一心に祈るのであった。
 私の憎悪は、何にもならない欲求だけにいつまでもとどまってはいず、やつをつかまえるいちばんよい手段を考えはじめた。そして、そのために、釈放されてからひと月ばかりして、町にいる刑事裁判官のところに出かけて、私は告発することにする、私は自分の家族を殺した者を知っている、だから、その殺害者の逮捕に全力をあげていただきたい、と話した。刑事裁判官である知事は、注意ぶかく親切に私の話に耳をかたむけた、――「ええ、だいじょうぶですよ。骨身を惜しまずにその悪者を見つけますから。」
「ありがとうございます。」と私は言った、「では、証言しますから、お聴き取りください。これは変った話ですから、どれほどへんなことでも、それを信じさせるだけの力のある何かが実際にないと、ほんとうにはなさらないのではないかとおもって心配です。この話は、前後左右の脈絡がはっきりしていて、夢とまちがえられたりすることはありませんし、私が嘘を申しあげるいわれもありません。」知事にこう話しかけたとき、私の態度は印象的であったが、おちついていた。私は心のなかで、あの殺戮者を死ぬまで追跡する決心を固めていたので、この目的は私の苦悩を和らげ、しばらくのあいだ私に生きがいを感じさせた。私はそこで手短かに、自分の経歴を述べたが、しっかりと精確に、日附けなどにもいささかの狂いもなく、また筋みちをそれて罵倒したり絶叫したりすることもなかった。
 知事は、はじめのうちは、まるきりほんとうにしないように見えたが、話をつづけるうちに、だんだん注意し、関心をもつようになって、ときには恐怖に身慄いし、またときには、少しも疑いをさしはさまぬ驚きがその顔にまざまざと描かれるのを、私は見た。
 話が終ってから私は言った、「僕が告発するのは、そいつなのです。そいつを逮捕して処罰するために、ひとつ全力を尽してくださるようにお願いします。それは知事としてのあなたの義務ですし、人間としてのあなたのお気もちも、このばあい、そういう職責をはたすことをお厭いにならないだろうと、私は思ってもいますし、またおもいたいのです。」
 このことばに、聴いていた知事の顔色が、かなり変った。知事は、精霊や超自然的事件の話を聞いた時のように、半信半疑で話を聞いていたのだが、その結果として公的に行動することを求められると、頭から信じられないという態度にもどった。けれども知事は、穏かに答えるのであった、「あなたが追跡するばあいには、喜んでどんな援助でもしますが、お話しになったその生きものは、わたしの努力などはものともしない力をもっているようですね。氷の海をよこぎったり、人間のとても入りこめない洞窟や獣の巣窟に住むことのできる動物を、誰が追いかけられますか。そのうえ、あの犯罪がおこなわれてから何箇月も経っており、そいつがどんな場所を歩いているのか、今どの土地に住んでいるのか、誰も推測できませんからね。」
「きっと僕の住んでいる所の近くをうろついています。また、たしかにアルプスの山中に逃げこんでいるとすれば、玲羊《カモシカ》のように狩り出して猛獣として殺すのですよ。しかし、僕には、あなたのお考えがわかります。僕の話を信じてはおられないのだ。それで、僕の敵を追跡して当然の刑罰に処するつもりがないのだ。」
 こう語ったとき、私の眼には怒気がちらついた。すると知事は、それに気がついて言った、「それはまちがっている。わたしは努力しますよ。わたしの力でその怪物をつかまえたら、きっとそいつの犯罪に相当した処罰をします。ただ、お話しになったそいつの性質から見て、それができそうもないと思うのですよ。そんなわけであらゆる適当な手段を講じますが、まあ、望みのないことだと思っていただかなくてはなりませんね。」
「そんなはずはありませんよ。しかし、僕がなんと言ったって、やくにたたないでしょうね。僕の復讐などは、あなたには何も重大なことではありませんからね。だけど、自分で悪いことだとは認めても、白状しますが、それが僕の魂の渇望、そのたった一つの情熱なのです。僕が世の中に追い放った殺戮者がまだ生きていると思うと、僕の怒りは言語に絶するのだ。あなたは僕の正当な要求を拒みましたが、僕の取る手段はたった一つしかありません。生きるか死ぬかで、あいつをやっつけることに身を捧げるのです。」
 こういいながら私は、興奮のあまりぶるぶる慄えた。そこには、狂乱の風と、どうやら、昔の殉教者たちがもっていたといわれるあの尊大な荒々しさがあった。献身や英雄主義の観念とはまるで違った観念を心に抱いているジュネーヴの知事には、こういう心の高揚は、よほど気ちがいじみて見えるのであった。子守りが子どもをあやすように知事はしきりに私を宥めようとし、話を前にもどして、あなたが言ったようなことは錯乱状態の結果だ、と言うのであった。
「なんだと、」と私は叫んだ、「あなたは賢いのを自慢にしているが、なんて無知なのだ! おやめなさい。言っていることがどんなことかこぞんじないのだ。」
 私は、腹立ちまぎれにいきなりその家を跳び出し、自分の家に帰ってほかに取るべき行動を考えた。


     24[#「24」は縦中横] 極地への追跡


 こういう情況では、私の自発的な考えは、ことごとく形をひそめ、失くなってしまった。私は怒りに駆り立てられ、復讐だけが私に力とおちつきを与えた。さもなければ、錯乱状態か死に陥ったにちがいない時にも、この復讐が感情の鋳型になり、いろいろものを考えて平静にしていられるようにするのであった。
 まず最初に決めたことは、永久にジュネーヴを立ち去ることであった。自分が幸福で愛されていた時には、私にとってなつかしかった祖国が、自分が逆境に陥ってみると、憎らしいものになったのだ。私は、母のものであった少しばかりの宝石と何がしかの金を身につけて出発した。
 こうして今や、死ぬ時にはじめて終るはずの私の放浪が始まった。私は、地上を広く歩きまわり、旅人が無人境や蛮地で出会うすべての辛苦に堪えた。自分がどうして生きてきたか、私は知らない。幾度となく私は、弱りきった手足を砂原に投げ出し、死を求めて祈った。しかし、復讐の念が私を生かしておいてくれたので、自分が死んで敵を生さながらえさせる気にはなれなかった。
 ジュネーヴを去ってます最初にやることは、あの悪鬼のような敵の足とりの手がかりを何かつかむことであった。しかし、私の計画はきまっておらず、どこをどう行ったらよいかわからずに、何時間も町はずれをさまよった。もう夜になるころ、ウィリアムとエリザベートと父の眠る墓地の入口に来ているのがわかった。私は、中に入ってその墓を示す碑に近づいた。風にかすかにそよぐ木の葉のほかは万物寂として声なく、夜は暗黒に近く、行きずりの人の眼にも、この情景は厳かな傷ましいものに映ったことだろう。世を去った者の霊が、哀悼する者の頭のまわりを飛ひまわり、影を投げているように見えるのであった。
 この情景が最初に引きおこした深い悲しみは、たちまち憤怒と絶望に代った。みんなが死んで、私が生きている。みんなを殺したやつも生きている。だから私は、そいつをやっつけるために、自分の疲れはてた存在を延長しなくてはならない。私は、草の上にひざまずき、土に接吻し唇を震わせて叫んだ、「僕のひざまずく聖なる大地にかけて、僕のそばをさまよう影たちにかけて、僕の感じる深い永遠の歎きにかけて、僕は誓います。おお夜よ、おんみにかけて、また、おんみのつかさどる霊たちにかけて、生さるか死ぬかの
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