のである。しかし私は決して解放された譯ではなかつた。苦悶懊惱やるせなさの結果が、あの小論文となつたわけであるが、しかし私の戀愛は決して自由ではなかつた。わたしの心はただ益※[#二の字点、1−2−22]囚はれてゆくばかりであつた。わたしは語を續けた。

 フランシ(素直)を第一義とするマダムの道義觀からすれば、わたしは如何にも解放されたやうに見えるでありませうが、東洋のわれわれの心持はなかなか、さう簡單に行きません。わたしの魂を金しばりにした戀愛の苦惱は、どんな理屈でも解消しませんでした。あの『自由戀愛私見』といふ文章は、英國の社會主義者ブラッチフォードに示唆を得て、いはば自分に言ひ聞かせるやうに、また一面には欝憤を晴らすために、書いたものなのであります。わたし自身少しも自由になつては居らず、實に半狂亂の戀であつたのです。かうした激情は青年男女に通ずるところがあると見えて、本郷教會のわたしの演説が、先生方の反撃を受けたにかかはらず、二三の青年女子聽衆から熱烈な同情の手紙を貰ひました。しかし、私のなやみは、つのるばかりでありました。
 多忙を極めた平民社の仕事に携はりながら、心身ともに自分
前へ 次へ
全127ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 三四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング