たいと思ふが、こんな際だからおとなしく引つこんでゐると書いてきました。アメリカの新聞は幸徳の事件に連座するものとして、わたしの拘引を報じ、福田氏の寫眞まで掲げて記事をにぎはせました。それは平民社時代に日本に來てゐたフライシュマンといふ男が書いたものでありませう。當時アメリカにゐた前田河廣一郎君から、その新聞を送つてくれたのであります。
 明治四十四年一月二十四日の朝、社會主義仲間の名物男齋藤兼次郎君があたふたとやつて來ました。朝から何の用ですか、と尋ねると、上氣して赤い顏した齋藤君は
「やられてゐるさうです」
 といふ。
「何がです?」
「いちがやで!」
「ああ! ほんとですか?」
 わたしは、ぐつと胸がつまつてきました。
「たうとうやるか。とにかく堺のところに行きませう。先に行つて下さい。わたしは後から行きますから」
 實を言ふとわたしも一しよに行きたかつたのですが、小心なわたしは胸がせまつて、動きがとれなくなつたのです。何とかして落ちつきたいと考へて、飯を食つてみようと試みたが、どうしても咽を通りません。お茶をかけて漸く一ぱいの飯を呑みこみましたが、不思議にも少し平靜になつたので、
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