き出されました。それはわたしにとつて一種樂しい旅行でもありました。早朝に監房から出されて、草鞋を穿かされて、徒歩で東京監獄まで送られるのです。それから他の囚徒とともに法廷に馬車で送られるのでした。一人の看守に付添はれてさわやかな外氣に觸れながら巣鴨の町を歩くのは愉快でした。朝起きて店先を掃いてゐる婦人などが何と美しいことか! 婦人といふ婦人は大てい美人に見えました。それに引きかへて、男といふ男は悉くのろまに見えました。獄中では看守は勿論のこと、囚人でも、面つきにすきまがありません。常に緊張してゐる看守達の顏ばかり見てゐるわたし達の眼に映る社會の男の面が如何にも馬鹿面に見えたのは自然なのでありませう。
赤衣で深編笠を冠つて街を歩いてゐると、可なり人目をひくと見えて、街の人々の眼を見ひらく樣がをかしいほどでした。わたしが眼鏡をかけてゐたので『あの懲役人は眼鏡をかけてらあ』などと怒鳴る若者もありました。わたしは、そのやうな『旅行』にも手錠はかけられませんでした。特別な計らひであつたのです。教誨師などの口添があつたのではないかと思ひます。
かうして、裁判所に出ると、少くとも往復三、四日の旅行になります。長い時は一週間ぐらゐになります。そんな時は、早く――巣鴨の――家に歸りたくなります、不思議なもので、自分の居處と定まつた『巣鴨の幽居』が慕しくなるのです、そして巣鴨の鐵門をくぐり、衣服を全部改めて古巣に入れられると『やれやれ無事に歸れてよかつた』といふ安心感に滿たされます。
この古巣には、最初大杉と山口とが、右と左の兩室にゐたが、山口が病氣になつて病監に移され、次で大杉が怪我をしたとかで矢張り病監に行きました。私にも病監のなぞがかけられましたが、遂にあのこく寒の室に頑張り通しました。兩手の甲と耳たぼとは凍傷でひどくなり、遂には皮膚がカサぶたになつて脱落するに至りました。
暫らくすると、今度は堺と大杉とが入つて來て、右に堺、左に大杉が据ゑられました。大杉は一旦出獄して、また新事件でやつてきたのです、數週前に東京監獄から手紙をくれた堺が、自分の姿を見せてくれたので嬉しかつたが、二人は間もなく出獄して、私はまた一人ぼつちになりました。丁度その時讀んでゐた『平家物語』の島流しの俊寛は、二人の同志がゆるされて故郷に歸る時、その船に取りすがつて海水が首に達するまで離さなかつたとい
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