ん。
 このやうに私の生家は私の少年時代にはまだ隨分賑はひました。それが兄の代になりますと、家も屋敷も人手に渡り、今はその痕跡さへも留めなくなりました。そのうへ因縁の深かつた菩提の寺も火事で燒失して、私には故郷そのものまでが亡くなつた感じを懷かせます。

     土着した祖先

「故郷(ペーイ・ナタル)を懷かしむ君の心持は吾々には珍しいことだ。江戸に遠くない所だといふが、その江戸といふ地名とエゾといふ名稱とには何か關係がないものだらうか、エゾとはアイヌの別名であるやうにも聞いたが、果してさうかね?」
 今度はポール翁が乘りだして來た。
「さあ、江戸とエゾとは或は語源を同じくするかも知れない。極く舊い頃には關東地方は『毛の國』と稱せられ、多毛人種の國であることを表明してゐたし、その多毛のアイヌを蝦夷と名づけ、江戸の地方は勿論エゾの住地であつたのだから、エゾが江戸に變つたのかも知れない。ただ近代ではエゾは北海道を意味し、北海道だけにしか純エゾ人は生存しない」
 と答へると
「ああ、さうか、しかし君の相貌はエゾ人種のそれであらうか、それとも他のモンゴール型か? どちらであらう?」
 と反問する。
「わたしの故郷の方面には古來朝鮮人が澤山に移住して來た歴史があり、僕の血統には恐らく朝鮮型が多分に混入してゐる」
「成るほど、さうか、高麗型か。それでは、君の故郷は朝鮮にも滿洲にもあらうし、或は海上遙かに遠いポリネシヤにも、インドネシヤにもある譯だらう」
 涯しもない廣いところに話は擴がつて行つた。そこで私は再びアイヌのことに戻り、利根川の名もフジ山の名も、皆アイヌ語から由來したもので、詳しく研究すると、日本の大部分の地名はアイヌ語に基くらしいといふことを語ると、ルクリュ翁は非常に興味深く感じ、
「ロシヤ及びシベリヤのムジクと日本のアイヌとは親密な血統關係があると説く學者もあるが、相貌の上から言へば、確かにさう言へるだらうね」
 と言ふのであつた。そして
「わたしの生家の五十嵐といふ姓なども或はアイヌ語系の名稱かも知れない。北國に多い姓であることも、その一徴證と言へる」
 といふ私の言葉を興味深きもののやうに聞いてゐた。曾てロンドンに國際博覽會が開かれた時、日本から送つたアイヌがそこで働いてゐたが、いつしか『東亞のトルストイ』といふ綽名が付せられて有名になつた。皮膚の色から見れ
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