こで直に人蔘やカブラやインゲン豆|抔《など》を蒔き、殊に多くの馬鈴薯を蒔いた。勿論近所の人に教はつて蒔いたのだが、併し、蒔かれたものは不思議に皆よく発生した。豆や馬鈴薯が、乾いた地面を突破つて、勢力の充実した翠芽を地上に突出して来る有様は、小気味の好いこと譬へやうも無い程であつた。若い豆の葉が、規則正しく葉並を揃へて、浮彫の様に地上を飾る時分は、毎朝早起して露つぽい畠を見舞ふのが何よりも楽しみであつた。
「不思議なものだ!」
 幾度、私はコウ独語したことであらう。生れて初めて種蒔といふことを行つて見たのである。勿論私に取つては是れは直接生活問題に係はるので、可なり真剣に蒔付労働に熱中したのではあるが、今此スバラシ[#「スバラシ」に傍点]い勢で発生する植物の姿を見ては、自然の創造力の不可思議なのに驚異を感ぜずには居られなかつた。是迄、自然といふものに全然無智であつたことも、亦一層私に「不可思議!」の感を懐かしめたのであらう。

         ◇

 私の家は戦線に近かつたので、兵隊さんが絶えず来宿した。大きな厩があつたので、馬の宿にも当てられた。其為に肥料として最も佳い馬糞が有り余るほど貯へられてあつた。畠をうなふ[#「うなふ」に傍点]前に私はブルエツト(小車)で何十回といふ程、其馬糞を運び入れた。今、其馬糞が土地を温め、若い植物を元気づけて居るのである。
 人蔘もカブラ[#「カブラ」に傍点]もインゲン[#「インゲン」に傍点]も非常に立派に出来た。私一人ではトテも喰べきれないので、好便の度毎に巴里に居る家主の処へ送つてやつた。肉類の余り新らしいのは甘くないが、野菜物ばかりは畠から取りたてに限る。私の巴里に送つた野菜物は、全然八百屋の物とは味が違ふのであつた。甘い果物や野菜物を味い得るのは、是れは田園生活者の特に恵まれたる幸福である。
 仏蘭西に、予期された革命は来なかつたが、私の蒔いた種は、予期されたよりは立派に発生した。馬鈴薯などはズンズン延びて、林の様に生ひ茂つた。そして其濃い緑葉の中に、星の様に輝やいた美しい花をも開いた。此馬鈴薯は、当国ではパンに次いでの重要な食料である。其重要な食料が立派に発育したので、私の喜びは非常なものであつた。
 処が其馬鈴薯は、九月の末になると、花も落ち、葉の色も褪せて了つた。十月の末になると見る蔭も無く枯れ果てた。更に十一月の末
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