ランス革命の時には自由、平等、博愛を標語として叫びましたが、この土人たちはとつく[#「とつく」に傍点]の昔から其を実行してゐたのであります。人間が誤つた思想や学問に支配されない前には、みんな自由、自治の生活をしてをつたのであります。これはアメリカだけではなくしてヨーロツパでも、アジアでも太古の社会はみなさうでありました。支那の昔、唐の時代の詩人に白楽天といふ人がありました。彼の詩にはよくこれが現はれてゐます。「朱陳村」といふ詩などには軍隊も警察もなく、而もよく自治して生を楽しんでゐる村の有様が現はれてをります。フイリツピンのルソン島も今のように征服されない以前には自由、平等、博愛の社会を造つてをりました。巡査なども不必要であつたことは勿論であります。尊ばれるものは武器を携へてゐる人ではなくて長老であります。長老は知識があり経験があつて、村落生活を助け導いてくれることが多いからであります。しかし長老たちは権威をもつて支配するやうなことはありません。文明社会には元老院、枢密院などいつて老人が権威を振ふ場所がありますが、其昔にはありませんでした。然るに此社会はアメリカ人の為に滅されて了ひました。
次に日本自身について考へてみます。天照大神に関する神話の中、素盞嗚尊《すさのをのみこと》の行為についてはいろいろの解釈があり、社会学上でいへば一の社会革命であるが、神話のまゝで見れば暴行であります。兎に角その暴行のために天照大神が天の岩戸の中に隠れてしまはれたので世間が暗闇となりました。そこで八百万《やほよろづ》の神々は一大会議を開いて、素盞嗚尊を流刑にすることゝ天照大神に出ていたゞいて世間を明るくすることゝを決議しました。その神々の間には位の上下等もなく、皆平等であつて、皆が決議権を持ち、階級的差別はありませんでした。その時に八罪といつて八つの重な罪を決めましたが、不思議なことには盗みや詐欺等私有財産に関する罪といふものがありません。想ふにその頃は部落共産制であつて私有財産といふものが無かつた為に盗みなどといふこともなかつたのであらうと思ひます。日本の古典として最も貴重な『古事記』に現はれた日本の国体はこれであります。先刻述べましたエロキユアスと同様な社会生活であつて、統治なく支配なき社会でありました。八百万神とは今でいへば万民であります。万民が一所に集つて相談をしたのであります。人間本来の生活はみな之であります。総ての民族が太古にはこうした生活を続けて来たにも関はらず、何故に支配といふことが出来てきたか。これは重要な問題であります。
故に私は茲に支配制度の発生について考へてみたいと思ひます。
バビロンの歴史は今を去る四五千年前のものでありますが、その遺物に王様の像の彫刻があります。又、バビロン人の出る前にはアツカド人、スメリヤ人などといふ人種があつて、前者は高原に後者は平原に住んで居りましたが、彼等の遺物の中にも王様の像があります。但し王様の像といつても別に金の冠をいたゞいてゐるわけではなく、多くの人と共に土を運んでゐるのであります。たゞ他の人より大きな体に刻んであるのと、その側の文字によつてそれ[#「それ」に傍点]と想像出来るのであります。その頃の王様とは総代又は本家といふ様なものであつて、支配する人といふ意味はなかつたのであります。王様であると同時に労働者の頭であり、自らも労働する人であつたのであります。労働の中心人物が王様であつたのであります。その後二三百年乃至五六百年たつてからの王様の像をみますと、共に土を運ぶ様なことはなく、労働者の側にあつて測量器械の様なものを持つてをります。
〔以下五百二十字分原稿空白〕
その間の変化を考へてみると極めて興味ある事実が潜んでゐます。最初は天文も分らなければ暦も無かつたことは言ふまでもありません。だん/″\日が短くなる、寒くなる、天気は毎日陰気になる。人々はどうなることかと心配してゐる。こんな時に経験に富んだ老人があつて「何も心配することはない。もう幾日位辛抱しろ。すると又暖い太陽がめぐつてくる」と教へて人々の不安を慰めたとする。又、作物の種子を播く時期や風の方向の変る時期、或は大風の吹く時期なども老人は知つたでせう。二百十日もかうして人々に知られるようになつたと思ひます。かゝる長老は村の生活になくてはならぬ人で村人に尊敬をされるのは自然であります。村人は或は彼を特別の才能ある者と思ひ、或は天と交通ある者と考へるかもしれません。そこで長老は喜んで自分の経験を多くの村人に伝へないで、自分の子孫、或は特別の関係ある者にのみ伝へて秘伝とするやうになります。村人はその秘伝の一族に贈物、或は捧物をして御利益を受けやうとする様になります。そこで彼等は労働しないでもその秘伝のお蔭によつて生活が出来る様になります。彼等は毎日遊んでゐて専ら自分の研究を続けることも出来れば、他のいろんな高等な学術の研究に没頭することも出来る様になります。徳川時代までは薬や剣術等にこの秘伝、或は一子相伝などが多かつたことは皆さんが御存知の通りであります。
こんな現象が永続すると自然に特別の階級が出来て、特権を持つと同時に、閑もあるし資力もあるから知識が進歩して益々自分達の生活に都合のよいことを考へる様になるでありましやう。初めは民衆の為であつた知識が後には自分のためとなり、初めは民衆のためになるから尊敬されたものが、後には単に之を所有するが故に尊敬される様になり、遂には偉くない者でも其秘伝を受けついだものは搾取が出来るやうになり、全く無意義なことになりました。
階級の確立、支配者の出現が社会生活に及ぼした影響をみるに、第一、経済や政治の組織の中に無益なことが生じて来ました。第二には道徳的には非常な不義が行はれる様になり、悪事が世を支配する様になりました。第三には人々が自然に対する美を感じなくなり、美的生活から離れて行きました。今その一つづゝについて詳しく話して見ましやう。
第一、経済的無益について。
あるものが他を支配する結果として、即ち生存競争の結果としてこんな事が生ずるのであります。国際的の例について考へてみるに、英国は紡績事業に於ては世界の産業を支配してをります。印度の綿をマンチエスターへ持つて帰つてそれを綿布に造ります。そして又これを印度へ持つていつて印度人に売りつけて搾取をしてをりますが、これは印度征服の結果であります。印度で産する綿は印度の土地で印度人の手によつて綿糸、綿布等として、印度人のために用ふればよいと思ひます。支那で出来る綿は支那人のために、日本で出来る綿は日本人のために用ひてこそ当然なのであります。然るに日本も支那で出来る綿花を内地へ持つて来て日本の女工を虐待し、多くの石炭や人間や機械力を費して更に之を輸出してをります。これは資本家の搾取、支配慾の発揮であります。然しこれが永続きをするとは思はれません。此頃は印度人が自ら工場を建て、自らの機械、自らの技術を用ひて経営する様になりました。英国人も亦、印度に英国人の工場を建てる様になりました。支那に日本の工場が出来だしたのも同じ理由からであります。これはよい一つの例ですが、之に類似したことで幾多の経済的無用事が行はれてゐることは数へることも出来ない位であります。それに目ざめて来てか英国の各属領は殆んど独立自治国となつてしまひました。
国内における小さな例をあげてみます。家を建てる為には、その土地に存在する材料を使つて、その土地の人が造れば経済でありますが、事実はさうではありません。東京の東の端に家を建てるのに西の端から大工さんが行き、南のはてから材料を運んで行きます。なぜそうなるか、其れはみな「俺が利益しやう」といふ野心があるからであります。この様な不経済は大したものであります。仮りに一人の大工さんが其為に一時間づゝ無駄に費すとすれば五十人では五十時間の無駄が出来るわけであります。もし人々が真に土着して自治するならば、こんな無駄も出来ない筈であります。
第二に美くしさの失はれたことを申します。昔はどんな村にでも組合制度があつて、冠婚葬祭等を協同でやつたものであります。然し支配制度が徹底するに従つて人心が荒んで来て無闇に隣人よりも偉くならうとする様になります。他人を蹴落しても自分が出世したいといふのが今の文明人の願ひであります。文明人はすき[#「すき」に傍点]のない顔をしてゐるが、つまり人相がわるいのであります。儲けようとか出世しやうとか、勝たうとか、一生懸命に考へてゐるから自然に人相が悪くなるのであります。監獄へはいつてゐて外へ出してもらふと、世間の人がみなぼんやりに見えます。これは監獄の中では囚人と看守がお互にすき[#「すき」に傍点]をねらつて寸分の余裕もなく、一寸ひまがあれば話をするとか、何か悪戯をしやうと考へてゐるので自然に険悪な顔になつてくるのです。都会人よりも田舎者の方が人相がおだやかで、善いのも自然であります。
又、織物などでは今の人は三越や松坂屋から買つたものが最上の物の様に考へてゐて、手織物の美しさなどを省みる者はない様であります。先年私は十年振りでヨーロツパから帰つて来て悪趣味の下劣な日本婦人の服装に驚いたのであります。昔は服装にも建築にも深い哲学があつたのでありますが、近代商業主義のためにすつかり壊されてしまひました。昔の哲学は近代の商人により学者により商店員により、ずん/″\と破壊されて了ひました。そして東京は最悪の都会となつてしまひました。同じ都会でも上海などはまだ立派であります。それはヨーロツパ文明の伝統が残つてゐるからであります。そこには自ら哲学が潜んで居ります。然るに、東京はたゞ利益を支配のために出来た都会で、少しも美を発見することは出来ません。
フランスにパンテオンといふ立派なお寺がありますが、こゝには国家の功労者の死骸が沢山祭つてあります。先は亡くなつた社会党のジヤン・ジヨレスの死骸もこゝに祭られました。この寺が出来る時のことであります。技師が見事なひさし[#「ひさし」に傍点]を考案してくつゝけた処、どうしたはずみか完成に近づいた時、突然落ち潰れて了いました。それを見た技師は驚き且嘆いてその結果死んでしまつたのであります。一つのひさし[#「ひさし」に傍点]にもこれだけの真心をこめてゐた技師の心は何と羨しいではありませんか。更に私が感心することは、その後を受けついだ技師が、前任技師の設計をそのまゝ用ひて寸分違はずに前任者の計画通りに実現したといふことであります。もし後任技師が支配慾の強い人であつたならば、必ず前任者の案を葬り自分の設計を用ひたであらうと思ひます。実に美くしい名工の心であります。
昨夜も小山〔四三〕君に聞いたのですが、小山君の着物はお母様の手織ださうであります。その純な色と模様とは実に立派なものであります。どんな田舎にもこんな立派なものがあるのに、地方の人たちは何故これに気づかないで醜い反物を三越などから求めるのでありませうか。これ明かに資本主義から来た間違つた思想に支配されるからであります。然るに茲に面白いことは、貴族の奥様方なぞになると、あのケバ/\しい柄合ひの反物を憎んで態々大金をかけて、手織縞の様な反物を求め、そして自分の優越感を満足して居ります。之が真に審美観から来たものならば結構でありますが、そうでない。唯だ自分が一般人よりも渋いもので而も高価なものを身に着けてゐるといふ誇りを感じたい為に過ぎないのであります。然るに渋さを誇らんが為に計らずも田舎縞、手織縞に帰着する点が実に面白いと思ひます。田舎のお媼《ばあ》さんが何の技巧も用ゐずに唯丈夫にしやうと織り出した反物が、却て貴族方の美的模範となるのは不思議の様であるが、実は自然の勝利であります。自分が材料を作り、自分が意匠をこらして、自分の手で織り上げる、それはどんなに美しい価値のある仕事でありましやうか。
然るに前に言つた様な無益な非美的なことが到る所に無数に行はれてゐるのでありますが、真の自治生活はこんな間違
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