リカ旅行者の記録によると、人間に家の周囲は恰も動物園の如き有様ださうであります。主人と客とを見分け、自分の家と家族の人たちをよく覚えてをります。他人が来ると警戒して喧しく鳴き立てます。又、狼、豹等も住民に馴れてゐるし、小鳥は樹上で囀つてゐる、殊に若い娘はよく猛獣と親しみ、その耳や頭の動かし方、声の出し方などでその心理を理解するし、動物もよく娘の心理を理解します。かうして野蛮人の家が丁度動物園の如き奇観を呈し、動物と人との共同の村落生活を実現してゐるさうであります。
植物の自治生活については私の申し上げるまでもありません。春は花が咲き、秋には実り、自らの力で美くしい果実を実らせます。そしてだん/″\自分の種族を繁殖させます。
七八十年来、進化論が唱へられ、生存競争が進化の道であると言はれて居ります。この進化論はワレスやダーウヰンが唱え出したものでありますが、之に対してクロポトキンは相互扶助こそ文明進歩の道であるといふことを唱へて居ります。生存競争論では強い者が勝つて、他を支配するといふのであります。しかし支配といふことは動物社会には事実存在しないことであります。他の団体に餌を求めていくことはあつても、その団体を支配することなどは事実としてはないことであります。
今、植物の例にうつります。桃の木を自然の生育に委せてをくと多くの花が咲きますが、その三分の一ばかりが小さな実を結びます。それから成熟して立派な実となるのは、又その三分の一ばかりであります。進化論者はこれも生存競争の為だといふかもしれませんが、それは一の既定概念による判断に過ぎないのであります。見方によつては生存競争といふよりも、むしろ相互扶助の精神の現はれと考へることも出来ます。林檎や梨の木も同様であります。
皆さんも御存知の通り木の皮の下には白い汁が流れて居ります。あの液汁が余りに盛んに下から上へ上ると花は咲きません。たゞ木が大きくなり葉が茂るばかりであります。今その枝を少し曲げて水平にすると花が咲き、又多く実ります。これは光線と液汁との調和が取れるからであります。この時に落ちていく花は競争に負けたのではなくして、太陽の光線との調和の為めに多く咲き、後には他を実らす為に犠牲になつたと考へたいと思ひます。多く咲くのは調節のためであります。戦争に於て第一線に立つて金鵄勲章をもらふ者のみが国防の任に当るのではなく、後方の電信隊、運搬者、農夫等も必要な任務をつくしてゐると同様に、実つたもののみが使命をつくしてゐるのではなく、落ちた花にも使命があると考へたいのであります。戦争の時に第一線の者だけが勇者で、人知れぬ所で弾丸に当つて斃れた者が勇者でないとするやうな考へ方には共鳴出来ません。しかるに今の社会組織が生存競争主義になつてゐるから、殊に其様に間違つた考へ方、間違つた事実が生ずるのであります。
日露戦争当時、私はある事件で入獄してをりましたが、その時にある看守はこんな事をいひました。「お前たちは幸福なものである。我々は毎日十六時間づゝ働いてゐる。而も二時間毎に二十分づゝ腰掛けることが出来るだけで、一寸でも居眠でもすると三日分の俸給を引かれる。然るにお前たちは毎日さうして読書してゐることが出来る。実に幸福なものである」といつて我々を羨むのでありました。そういひ乍ら我々を大切に世話してくれます。彼等からいふと我々は商品の様なものであります。司法大臣でも廻つてくる時に少しでも取扱方に落度があればすぐに罰俸を喰ふのであります。
さて或る時お上からお達しが監獄へ来て、「戦争の折であるから倹約をせよ」といつて来ました。そこで監獄の役人たちはいろ/\と相談を致しましたが、囚人の食物を減ずることも出来ないので、看守の人員を減ずるより仕方ないといふことになり、百五十人を百人に減じました。看守さんたちは眠いのを辛抱して以前にも増して働きましたが、その結果として典獄さん一人が表彰されたのみで他の看守さんたちは何一つも賞められなかつたのであります。その典獄さんは実際よい人でありました。私やその当時隣の室にゐた大杉などを側へ呼びよせて「お前たちは立派な者だ、社会のために先覚者として働いて貴い犠牲となつたのだ」とて、大そう親切にしてくれました。この典獄さんが表彰されたことはお目出たいことでしたが、「俺たちは太陽の光で新聞を読んだことがない」といつてゐる看守たちが少しの恩典にも浴することが出来なかつたのは何としたことでせうか。賞与をもらはなかつた看守も国家のためになつてゐることは明かですが、生存競争主義で組織された世の中であるから上の者だけが賞与にあづかるのも己むをえないのであります。こゝに来てゐらつしやる巡査さんもこのことはよく御承知の筈だと思ひます。
このごろ東京では泥棒がつかまらないので
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