lは更に苦情を言いたくないのである。むしろ、自分と異なった自然の観かたのあるのを ANGENEHME UEBERFALL(快い驚き)として、如何ほどまでにその人が自然の核心を窺い得たか、如何ほどまでにその人の GEFUEHL(感覚、感情)が充実しているか、の方を考えて見たいのである。その上でその人の GEMUETSSTIMMUNG(情調)を味いたいのである。僕の心のこの要求は、僕を駆って、この頃人の口に上る地方色というものの価値を極小にしてしまったのである。(英語にいう LOCAL COLOUR(ローカルカラー)は意を二三にするが、ここには普通にある地方の自然の色彩の特色を指す事とする。)僕は地方色などというものを画家が考え悩むのは、前に言った高価な無益の印紙の一つにほかならないと思っている。
 絶対の自由《フライハイト》を要求する僕の態度が間違っていれば、そこから起って来る僕の考索はすべて無価値のものとなってしまうわけである。しかし、これは間違いようのない事に属している。理論でなくして僕の感情であるからである。たとい、間違って居ると言われても僕の頭のある限りは自分でどうする事も出来な
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