求されているのである。この点に関して非常に鋭敏な氏の感覚は、今の都会の色をいわゆる日本の地方色に遠しとして、丸の内の石垣の水、奈良の春日野、利根の沿岸の方を選ぶのである。一箇の芸術家の趣味性とその眼にうつる自国のいわゆる地方色との一致した最も幸福な一例である。氏が内面の要求に駆られて画かんとする情調は、おのずから今日世人のいう日本の自然の色と適合するのである。そこで氏の感覚には動かすべからざる日本の地方色の EIGENHEIT(特性)というものが確立してしまうのである。氏が最も地方色を重んずる一人となるのは自然な事である。従って氏は盛に地方色の試験管によって多くの作品を検査して居る。氏のいわゆる「西洋臭い」作品はかくの如くして摘出される。作画の技巧にまでもその SAEURE(酸)は影響を及ぼさずには止まないのである。この点は僕の ANARCHISMUS に傾いているのに対して氏は MONARCHISMUS(独裁主義)の形がある。等しく自然を見てもその性情の差によってかくの如く相違して来るのである。もとよりいずれを是としいずれを非とする事の出来ない問題である。
 僕といえども作品の鑑賞の側から、帰納的に地方色というものの存在を認めている事は確かである。日本人の作品には自ら日本の地方色とも見るべきものがある。仏国人の作、英国人の作、皆然りである。しかし、これは地方色の存在を認めるのであって、その価値を認めるのではない。附随物として認めるのであって鑑賞の対象物とは認めないのである。石炭ガスを造ると、骸炭《コオクス》が取れる。取れるから序に取るのである。取ろうと思わないでも取れるのである。日本人の手になったものは結局日本的である。日本的になるのである。日本的にしようとせずともなるのである。しかたのない腐れ縁なのである。僕は作品の鑑賞において、そのいわゆる地方色を自分の感じに置かずして作にあらわれた地方色そのものに無限の権威を持たせてそのままに味いたいのである。今日僕等が見ていわゆる地方色と見えない作品も後に至って顧れば、やはり明治の今日の色彩なのである。と考えたいのである。もしこの地方色というものを、作家自身の PERSOENLICHKEIT に任せてしまわないで、鑑賞者が恣に口を出す事になると、畢竟一つの桎梏を作家に加えるわけになる。地方色という観念は厳格に考えると、一つ
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