るく明灰色に波うっている。この胸の方の明るい大まかな凹凸と、鶯いろの背部の垂直に近い、削ったような潔い輪廓とがいい釣合を持っている。その背部の蓑毛《みのげ》を胸の方の房々の羽毛が逆に下から逆まきにかぶせているのは、ウソの身体の中で、一番|颯爽《さっそう》としているところだ。胸の羽毛は斂《おさ》めた翼の風切《かざき》りの上へまでぱらぱらとかぶさる。背中の蓑毛と胸の羽毛の下からこの風切りが、もう一度あざやかな黒色で、黒頭巾との呼応をしている。閉じた翼の風切りのさきは左右あまり強く交叉せず、直ぐ下に背の長さ位の尾羽根がやはり黒一色ですっとさがり、その親骨がはっきり見える。風切りの黒と、尾羽根の黒との間にちらちらと、下尾筒《したびとう》の雪白の毛が隠見する。これが中々シックだ。この白い毛は春先の頃になると幾分多くなるように観察された。琴ひくような、夢みるような、咽喉《のど》をふくらまして長く引っぱる唄を謡い出す頃である。彫刻にしても彩色したらこの一個所の白が恐らく甚《はなは》だ効果的であろうとその時考えた。片足をちぢめて腹の中へ入れ、その腹の羽毛が少し立っているのもおもしろい。
 何にしろ黒じみず垢《あか》じみず、梅林のけはいの何処《どこ》かにしみこんでいる、すぱりとして鋭いくせに、またおっとりした、このドナテロのサンジャンのように直立している山の小鳥の気魄《きはく》を木で出して見たくてたまらなくなり、それから鑿《のみ》を研ぎ、小刀を研ぐのに二、三日かかって、わき目もふらずに彫りはじめて七日目にやっと出来た。出来た結果は思《おもい》の半分にも及ばないが、毎日|懐《ふところ》に入れて持って歩いた。飯屋でもそれを出して見ながら飯をくった。まだ健康だった頃の智恵子が私にも持たせてくれとせがんだ。いつぞや第一回大調和展覧会に出品した木彫ウソを作った時の話である。



底本:「日本の名随筆2 鳥」作品社
   1983(昭和58)年4月25日第1刷発行
   1995(平成7)年10月30日第18刷発行
底本の親本:「芸術論集 緑色の太陽」岩波書店
   1982(昭和57)年6月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られまし
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