まだ十分彫刻に於ては現れていない。天象風土に直接関係ある建築の方がかかる点に於て一歩先んじるようになるのは当然であるかもしれぬが、彫刻に於てはその様式踏襲の間にまがう方もなく日本的特質として現れて来る第一のものがまず仏像の骨相であった。白鳳|天平《てんぴょう》に至るまでのその推移のあとをたずねると面白いが此は問題が別になる。
 法隆寺東院絵殿に以前安置されていて今は綱封蔵にあるときく此の夢違観音は所謂《いわゆる》天平前期にあたる作であるが、この像の持つ美の要素には十分注目すべきものがあり、日本美の特質を深く包蔵している。わずか二尺八寸余の小像であるが古来世人の恭敬愛慕絶ゆる事なく、悪夢を善夢とかえてくださる御仏として礼拝されて来たという。そういう伝説に値する美が確かにある。この像には既に大陸の影響が十分に消化せられて、日本美独特のものが備っているが、前に述べた清らかさ、高さ、精神至上、節度というようなものに加え、更に疑念なき人なつこさ[#「人なつこさ」に傍点]の美がある。これが大和民族の本能から来ているところに意味がある。大和民族はもともと豪壮勇敢な悲壮美に富んでいるが、また一方他に見られぬ疑念なき人なつこさの情にゆたかである。日本人は他民族を不思議に容易にうけ入れる。随分危険なほど明け放ちの性質を持っている。乗ぜられる弱点ともなるが、又これが強大の実力を伴う時民族親和の魅力ともなる。敵さえ包容する大度量ともなる。この像にはその美が「天にはうたがい無きものを」という高度の無垢《むく》にまで至っている。実例をあげていられないが、こういう清らかな人なつこさ[#「清らかな人なつこさ」に傍点]は世界の美の源泉中に類が無い。そして又この美は世界に一つの新らしい美を開く。

   神護寺金堂の薬師如来

 日本美術の精華を語るに当って、其例を天平期の諸仏像にとるのは世の常識である。これは当然の事であって、飛鳥《あすか》白鳳の輸入期を超えて、其美が漸《ようや》く純日本の形式に落着き、しかも技術の優秀、精神の高遠、共に古今に並びなき発達を遂げた時代であるから、およそ日本美術を語ろうとすれば、どうしても此時期の諸仏像を挙げざるを得ないのである。雄渾《ゆうこん》な構想に加えるに緻密《ちみつ》な工匠的の美意識に富み、聡明《そうめい》な空間組成と鋭敏豊潤な色彩配置とを為し遂げたその純芸術力は世界にもこれに匹敵するもの甚だ稀《まれ》である。僅にギリシャが之に対比し得るだけで、他には規模の厖大《ぼうだい》とか煩瑣《はんさ》な技術の目まぐるしい積みかさねとか、偏った末梢美の誇示とかいう類のものはあっても、よく美の中正を行き芸術の微妙な機能の公道を捉えているものは甚だ少い。その点で日本とギリシャとは性質は全く異っても美の世界に於ける二つの大道|康衢《こうく》を成すものである。
 白鳳から天平へかけての諸仏像の壮麗さは筆紙に尽し難いものがある。まことに目もあやな景観で、その遺品だけを考えてもわずか百五六十年の間によくもこんなに多くの傑作が出来たものだと驚く外はない。いかに当時の仏像造顕そのものが国家の問題であり、又いかに造型意識そのものが直ちに信仰と倫理とにつながるものとして重大視されていたかを想見することが出来る。美は直ちに力であったのである。その美が競い立って相継いで芳香ある雰囲気を平城一円の地を中心に八方に漲《みなぎ》らしていたのである。
 夢違観音と同時代には新薬師寺の香薬師立像のような同型の美が作られていて、唐風様式の聡明な日本化が既に行われていた事を示す。
 最も壮観を極めるものに薬師寺金堂の薬師三尊の巨大な銅造仏がある。古事記、日本書紀の出来た頃前後の作と思われるが、その端厳にして旺盛《おうせい》な仏徳発揚の力といい、比例均衡の美といい、造型技巧の完璧《かんぺき》さといい、更に鋳金技術の驚くべき練達といい、まったく一つの不可思議である。唐の影響はよく淘汰《とうた》され、大陸にもかかる優れた遺品は絶無である。同寺東院堂の銅造聖観音立像もこれに劣らぬ美の最もいさぎよきものである。
 天平盛期となるとまず東大寺三月堂の乾漆の巨像|不空羂索観音《ふくうけんさくかんのん》があり、雄偉深遠で、しかも写実の真義を極めている。写実はすべての天平仏の美の根源であって、その自然から汲み取ることの感謝とよろこびを斯《か》くも正しく表現している時代は少い。同じ三月堂の塑造日光|月光《がっこう》の両|菩薩《ぼさつ》像もその傾向を推し進めたものであり、更に戒壇院の四天王像になると聡明な頭脳と余裕ある手腕とによる悠揚せまらぬ写実の妙諦《みょうてい》に徹底している。
 又一方には興福寺の十大弟子や八部衆のような近親感の強い純写生に基く諸作もあり、写生の極まるところ行信僧都や、鑑
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