墳の周辺に輪のように並べ立てた素焼の人物鳥獣其の他の造型物であって、今日はかなり多数に遺品が発掘されている。これはわれわれの持つ文化に直接つながる美の源泉の一つであって、同じ出土品でも所謂縄文式の土偶や土面のような、異種を感じさせるものではない。縄文式のものの持つ形式的に繁縟《はんじょく》な、暗い、陰鬱《いんうつ》な表現とはまるで違って、われわれの祖先が作った埴輪の人物はすべて明るく、簡素|質樸《しつぼく》であり、直接自然から汲み取った美への満足があり、いかにも清らか[#「清らか」に傍点]である。そこには野蛮|蒙昧《もうまい》な民族によく見かける怪奇異様への崇拝がない。所謂グロテスクの不健康な惑溺《わくでき》がない。天真らんまんな、大づかみの美が、日常性の健康さを以て表現されている。此の清らかさ[#「清らかさ」に傍点]は上代の禊《みそぎ》の行事と相通ずる日本美の源泉の一つのあらわれであって、これがわれわれ民族の審美と倫理との上に他民族に見られない強力な枢軸を成して、綿々として古今の歴史と風俗とを貫いて生きている。此の明るく清らかな美の感覚はやがて人類一般にもあまねく感得せられねばならないものであり、日本が未来に於て世界に与え世界に加え得る美の大源泉の一特質である。此の「鷹匠埴輪」の無邪気さと、やさしい強さと、清らかさとはよく此の特質を示している。美の健康性がここに在る。

   法隆寺金堂の壁画

 建国以来、日本にも国運上又は国政上に、危い、きわどい時機が幾度かあった。その所謂危機が外部から襲来した事もあり内部から爆発した事もある。そういう時、日本にはきまって不世出の大人物があらわれ、其の禍を断ち、却《かえっ》て更に国運の向上を来さしめている。あとから思うと不思議なくらいそれがうまく行っている。推古天皇の御代を、そういう危かった時代といっていいかどうか分らないが、思想上にも、国政上にも、どうしても解決しなければならない重大問題が前代から山のようにたまったままになっていて、ここで一歩をあやまれば取りかえしのつかないような事になるし、しかも最早一日も荏苒《じんぜん》していられない土壇場に押しつめられたような時代であった。幸にも、その時聖徳太子のような曠古《こうこ》の大天才が此世に顕《あらわ》れて一切の難事業を実に見事に裁決させられた。国是は定まり、国運は伸び、わけて文
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