起もあり、又陰の方から静かにあらはれてくる穹窿もある。その輪郭線の微妙な移りかはりに不可言の調和と自然な波瀾とを見てとつて観る者は我知らず彫刻のまはりを一周する。彫刻の四面性とは斯の如きものである。唐招提寺の鑑真和上の坐像のやうな凝然とした静坐の像に対して此をじつと見てゐると、まるで呼吸してゐるやうな微かな動きを感ずる。これは観る者の呼吸の動きである。元来動かない筈の彫刻といふ物体に動きを感ずるところに彫刻の持つ神秘感の物理的根拠がある。深夜孤坐して一つの彫刻に見入る時の一種の物凄さは経験した人の既に知るところであらう。彫刻の写真がその実物の魅力の大半を失ふのは、写真が唯一つの輪郭に彫刻を固定してしまふところに理由がある。どんなにまろく浮き出してゐる写真でも、写真にはさういふ動きがない。彫刻の四面性といふ特質が殺されてしまふのである。
かういふ彫刻の神秘的な動きがもう少し能動的に動いてくるのが能の動作であるやうな気がする。能では、どうすれば人がいちばん動かないで動き得るかを究めてゐるやうである。揚幕から出て橋がかりを一ノ松まで来る間、腰をおとして一足一足すり足でむらなく進むが、身体そ
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