君の見出でつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき審判官《さばきのつかさ》とすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠《こも》れるを信ずるなり
[#ここで字下げ終わり]
と私も歌つたのである。私を破れかぶれの廃頽《はいたい》気分から遂に引上げ救ひ出してくれたのは彼女の純一な愛であつた。
大正二年八月九月の二箇月間私は信州上高地の清水屋に滞在して、その秋神田ヴヰナス倶楽部《クラブ》で岸田|劉生《りゆうせい》君や木村荘八君等と共に開いた生活社の展覧会の油絵を数十枚画いた。其の頃上高地に行く人は皆島々から岩魚止《いはなどめ》を経て徳本《とくごう》峠を越えたもので、かなりの道のりであつた。その夏同宿には窪田空穂《くぼたうつほ》氏や、茨木猪之吉氏も居られ、又丁度穂高登山に来られたウエストン夫妻も居られた。九月に入つてから彼女が画の道具を持つて私を訪ねて来た。その知らせをうけた日、私は徳本峠を越えて岩魚止まで彼女を迎へに行つた。彼女は案内者に荷物を任せて身軽に登つて来た。山の人もその健脚に驚いてゐた。私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。上
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