あまり善く知らないのであるが、津田青楓氏が何かに書いてゐた中に、彼女が高い塗下駄をはいて着物の裾を長く引きずるやうにして歩いてゐたのをよく見かけたといふやうな事があつたのを記憶する。そんな様子や口数の少いところから何となく人が彼女に好奇的な謎《なぞ》でも感じてゐたのではないかと思はれる。女|水滸伝《すいこでん》のやうに思はれたり、又|風情《ふぜい》ごのみのやうに言はれたりしたやうであるが実際はもつと素朴で無頓着《むとんちやく》であつたのだらうと想像する。
私は彼女の前半生を殆ど全く知らないと言つていい。彼女について私が知つてゐるのは紹介されて彼女と識《し》つてから以後の事だけである。現在の事で一ぱいで、以前の事を知らうとする気も起らなかつたし、年齢さへ実は後年まで確実には知らなかつたのである。私が知つてからの彼女は実に単純|真摯《しんし》な性格で、心に何か天上的なものをいつでも湛《たた》へて居り、愛と信頼とに全身を投げ出してゐたやうな女性であつた。生来の勝気から自己の感情はかなり内に抑へてゐたやうで、物腰はおだやかで軽佻《けいちよう》な風は見られなかつた。自己を乗り越えて進まうとする
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