林の中の小高い砂丘の上に立つてゐて、座敷の前は一望の砂浜となり、二三の小さな漁家の屋根が点々としてゐるさきに九十九里浜の波打際が白く見え、まつ青な太平洋が土手のやうに高くつづいて際涯《さいはて》の無い水平線が風景を両断する。
 午前に両国駅を出ると、いつも午後二三時頃此の砂丘につく。私は一週間分の薬や、菓子や、妻の好きな果物などを出す。妻は熱つぽいやうな息をして私を喜び迎へる。私は妻を誘つていつも砂丘づたひに防風林の中をまづ歩く。そして小松のまばらな高みの砂へ腰をおろして二人で休む。五月の太陽が少し斜に白い砂を照らし、微風は海から潮の香をふくんで、あをあをとした松の枝をかすかに鳴らす。空気のうまさを満喫して私は陶然とする。丁度五月は松の花のさかりである。黒松の新芽ののびたさきに、あの小さな、黄いろい、俵のやうな、ほろほろとした単性の花球がこぼれるやうに着く。
 松の花粉の飛ぶ壮観を私は此の九十九里浜の初夏にはじめて見た。防風林の黒松の花が熟する頃、海から吹きよせる風にのつて、その黄いろい花粉が飛ぶさまは、むしろ恐しいほどの勢である。支那の黄土をまきあげた黄塵《こうじん》といふのは、素《もと》より濁つて暗くすさまじいもののやうだが、松の花粉の風に流れるのはその黄塵をも想像させるほどで、ただそれが明かるく、透明の感じを持ち、不可言の芳香をただよはせて風のまにまに空間を満たすのである。さかんな時には座敷の中にまでその花粉がつもる。妻の浴衣《ゆかた》の肩につもつたその花粉を軽くはたいて私は立ち上る。妻は足もとの砂を掘つてしきりに松露の玉をあつめてゐる。日が傾くにつれて海鳴りが強くなる。千鳥がつひそこを駈けるやうに歩いてゐる。
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  智恵子の切抜絵


 精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。そのうち、鶴の外にも紙燈籠《かみどうろう》だとか其他の形のものが作られるやうになり、中々意匠をこらしたものがぶら下つてゐた。すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙づつみを渡して見ろといふ風情《ふぜい》であつた。紙包をあけると中に色がみを鋏《は
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