触のあった時と言えばいえる程度に過ぎなかった。社会的関心を持たなかったばかりでなく、生来社交的でなかった。「青鞜」に関係していた頃|所謂《いわゆる》新らしい女の一人として一部の人達の間に相当に顔を知られ、長沼智恵子という名がその仲間の口に時々上ったのも、実は当時のゴシップ好きの連中が尾鰭《おひれ》をつけていろいろ面白そうに喧伝《けんでん》したのが因であって、本人はむしろ無口な、非社交的な非論理的な、一途《いちず》な性格で押し通していたらしかった。長沼さんとは話がしにくいというのが当時の女友達の本当の意見のようであった。私は其頃の彼女をあまり善く知らないのであるが、津田青楓氏が何かに書いていた中に、彼女が高い塗下駄をはいて着物の裾を長く引きずるようにして歩いていたのをよく見かけたというような事があったのを記憶する。そんな様子や口数の少いところから何となく人が彼女に好奇的な謎でも感じていたのではないかと思われる。女|水滸伝《すいこでん》のように思われたり、又風情ごのみのように言われたりしたようであるが実際はもっと素朴で無頓着《むとんじゃく》であったのだろうと想像する。
私は彼女の前半生を
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