作りたいものは山ほどあっても作る気になれなかった。見てくれる熱愛の眼が此世にもう絶えて無い事を知っているからである。そういう幾箇月の苦闘の後、或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失う事によって却《かえっ》て私にとっては普遍的存在となったのである事を痛感し、それ以来智恵子の息吹を常に身近かに感ずる事が出来、言わば彼女は私と偕《とも》にある者となり、私にとっての永遠なるものであるという実感の方が強くなった。私はそうして平静と心の健康とを取り戻し、仕事の張合がもう一度出て来た。一日の仕事を終って製作を眺める時「どうだろう」といって後ろをふりむけば智恵子はきっと其処に居る。彼女は何処にでも居るのである。
智恵子が結婚してから死ぬまでの二十四年間の生活は愛と生活苦と芸術への精進と矛盾と、そうして闘病との間断なき一連続に過ぎなかった。彼女はそういう渦巻の中で、宿命的に持っていた精神上の素質の為に倒れ、歓喜と絶望と信頼と諦観《ていかん》とのあざなわれた波濤《はとう》の間に没し去った。彼女の追憶について書く事を人から幾度か示唆されても今日まで其を書く気がしなかった。あまりなまなましい苦
前へ
次へ
全28ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング