事は出来ない。名香のかおりに何処か麝香《じゃこう》をほのかにまじえた様な睫毛であった。あんな少女が生きているとは不思議な位だ。
 人間の首には先天の美と、後天の美とがある。此の二つが分ち難くまじり合って大きな調和を成している。先天の美は言う迄もないが後天の美に私は強い牽引《けんいん》を感ずる。閲歴が造る人間の美である。私が老人を特別に好むのは此の故もある。写真は人間の先天の美のみを写して後天の美を能《よ》く捉えない。だから写真では赤坊だけがよく写る。後天の美を本当に認め得るのは活きた眼だけである。機械では不可能である。写真に写ると実際よりも美しくなる人は此の先天の美に恵まれている人であり、写真では悪いが本人に会うと美しいという人は此の後天の美、閲歴、生活、性格|陶冶《とうや》等から来る美を多分に持っている人の事である。
 概して文芸家の首には深みがある。ドストイエフスキイ、ストリンドベリイ、ロマン ロラン、皆そうらしい。ポオ、※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌ等は何という不思議な首だろう。彼等の詩そのものと思う。政治家では、リンカンの首がすばらしい。生きている当人に会ってみ
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