人の首
高村光太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)戯《たわむれ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)性格|陶冶《とうや》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌ
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私は電車に乗ると異状な興奮を感ずる。人の首がずらりと前に並んで居るからである。人間移動展覧会と戯《たわむれ》に此を称《たた》えてよく此事を友達に話す。近代が人に与えてくれた特別な機会である。此所に並んでいる首は、美術展覧会に於ける絵画彫刻の首と違って、観られる為に在るのではない。たまに、見られ、眺められ、感嘆せられ、羨《うらやま》しがられる為に在る事を自ら意識している様な男性女性に会う事もあるが、其とても活世間という一つの活舞台の中では、おのずから活《い》きた事情にとりまかれて、壁上にかかり、台座の上に載っている作られた首の様にアフェクテエション一点張ではない。ロクでもない美術品の首よりも私はこの生きた首が好きである。此所に並んでいる首は皆一つの生活背景を持つ。皆一つの生活事情を持ち、毎日の生活に打ち込んでいる。或者は屈託し、或者は威張り返り、或者は想像もつかない悲に被《おお》われ、或者は楽しく、或者は放心している。四隣人無きが如く連れの人と家庭の内輪話をしているお神さんもある。民衆論を論じているロイド眼鏡の青年もいる。古着市に持ち出した荷物を抱えている阿父さんもいる。其がみんな自分達の内心に持っているものを思わず顔に露出して腰かけている。むしろ痛々しい程に感ずる時もある。
人間の首ほど微妙なものはない。よく見ているとまるで深淵にのぞんでいる様な気がする。其人をまる出しにしているとも思われるし、又秘密のかたまりの様にも見える。そうして結局其人の極印だなと思わせられる。どんな平凡らしく見える人の首でも実に二つと無いそれぞれの機構を持っている。内心から閃《ひら》めいて来るものの見える時は其平凡人が忽《たちま》ち恐ろしい非凡の相を表わす。電車の中でも時々そういう事を見る。
人の首の中で一番人間の年齢を示しているのは項部である。所謂《いわゆる》首すじである。顔面では年齢をかくせるが首すじではごまかせない。
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