される。香料は皆言わば稀薄《きはく》である。香水の原料は悪臭である。所謂《いわゆる》オリジナルは屍人くさく、麝香《じゃこう》は嘔吐《おうと》を催させ、伽羅《きゃら》の烟《けむり》はけむったい油煙に過ぎず、百合花の花粉は頭痛を起させる。嗅覚《きゅうかく》とは生理上にも鼻の粘膜の触覚であるに違いない。だから聯想的《れんそうてき》形容詞でなく、厚ぼったい匂や、ざらざらな匂や、すべすべな匂や、ねとねとな匂や、おしゃべりな匂や、屹立《きつりつ》した匂や、やけどする匂があるのである。
 味覚はもちろん触覚である。甘いも、辛いも、酸いも、あまり大まかな名称で、実は味わいを計る真の観念とはなり難い。キントンの甘いのはキントンだけの持つ一種の味的触覚に過ぎない。入れた砂糖の延長ではない。
 乾いた砂糖は湿った砂糖ではない。印度《インド》人がカレイドライスを指で味わい、そば好きがそばを咽喉《のど》で味わい、鮨《すし》を箸《はし》で喰べない人のあるのは常識である。調理の妙とはトオンである。色彩に於けるトオンと別種のものではない。
 五官は互に共通しているというよりも、殆ど全く触覚に統一せられている。所謂第六
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