暴露的な状態上の問題ではない。千万の現象そのものに、すぐ裸を見る力が欲しいのである。赤外線による写真には眼に見えないものが写るそうである。彫刻家の触覚は霧を破ろうとする。そして又霧は霧である事を確かに触知しようとする。
 人生そのものには必ず裸がある。むしろ、眼を転ずれば人生そのままが既に裸だと言えるのであろう。けれど人間の手に成るものは必ずそうとも限らない。人間の手に成る作品を見て、其中に実存する裸の力に触れるのは愉快である。作られ方の力ではない。又その傾向の力ではない。作られ方も傾向も皆充分考慮に値する。けれども考慮は結局時代に関する。動かし難いものを根源に探る触覚が、一番はじめに働き出す。それの怪しいもの、若《もし》くは無いものは掴《つか》むとつぶれる。いかに弱々しい、又は粗末らしい形をしたものでも此の根源のあるものはつぶれない。詩でいえば、例えばヴェルレエヌの嗟嘆《さたん》はつぶれない。ホイットマンの非詩と称せられる詩もつぶれない。そんなもののあっても無くてもいい時代が来てもつぶれない。通用しなくても生きている。性格や気質や道徳や思想や才能のあたりに根を置いている作品はあぶない。どうにもこうにもならない根源に立つもの、それだけが手応を持つ。この手応は精神を一新させる。それから千差万別の道が来る。
 私にとって触覚は恐ろしい致命点である。



底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
   1994(平成5)年9月10日初版第2刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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