と寒いように感じるが、山の人がツララを見ると、おう、もう春だっちゃ、と思うのである。
ツララがさかんになる頃には、水田の上にかぶさっていた雪の原に割れ目ができてくる。大てい畔《あぜ》にそって雪は解ける。雪の断層ができて、山岳でいう雪の廊下のようになる。それがくずれて、南側の日あたりに枯草の地面が顔を出す。地面が顔を出すが早いか、忽《たちま》ちここの日光をしたってフキの根からぽっかり青いフキノトウが出る。このへんではこれをバッケとよんでいる。二つ、三つ、雪の間の地面にバッケを見つけた時のよろこびは毎年のことながら忘られない。ビタミンBCの固まりのようだ。さっそく集めて、こげいろの苞《ほう》をとりすて、青い、やわらかい、まるい、山の精気にみちた、いきいきとしたやつを、夕食の時、いろりの金網でかろくやき、みそをぬったり、酢をつけたり、油をたらしたりして、少々にがいのをそのままたべる。冬の間のビタミン不足が一度に消しとぶような気がする。たくさんとった時は東京で母がしたように佃煮《つくだに》にしてたくわえる。痰《たん》の薬だといって父がよくたべていた。
バッケには雌雄の別があって、苞の中の蕾
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