くもおもえる。北の方ではラッセル車が出るというのに、南の方では桃の花が村々にのどかに咲く。
 自然の季節に早いところとおそいところとはあっても、季節のおこないそのものは毎年規律ただしくやってきて、けっしてでたらめでない。ちゃんと地面の下に用意されていたものが、自分の順番を少しもまちがえずに働きはじめる。木の芽にしても、秋に木の葉の落ちる時、その落ちたあとにすぐ春の用意がいとなまれ、しずかに固く戸をとじて冬の間を待っている。まったく枯れたように見える木の枝などが、じっさいはその内部でかっぱつに生活がたのしくおこなわれ、来年の花をさかせるよろこびにみちているのである。あの枯枝の梢を冬の日に見あげると、何というその枝々のうれしげであることだろう。
 さて、山の三月は雪でいっぱいだが、それでも、もう冬ではなくて春の一部にはちがいないので、雪は降っても又目立って解ける。零下一〇度程度の寒さはすくなくなり、屋根からは急にツララがさかんにぶらさがる。ツララは極寒の頃にはあまり出来ず、春さきになって大きなのが下る。ツララは寒さのしるしでなくて、あたたかくなりはじめたというしるしである。ツララの画を見る
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