する。ギンタケのみそ汁は山の珍だ。ムラサキシメジという紫の濃いきれいな茸も出るが、味はさほどでない。クリタケ、ウスタケ、アンズタケ、その他食用になるのがいろいろ出るが、ナメコはこの山には出ない。毒茸も多い。まっかなベニタケ、星のついたテングタケは恐ろしい毒物だし、夜になると燐光《りんこう》を発するツキヨダケというのも出る。椎茸とまちがえられるほどよく似た茸だが、ほのかな異臭があるし、うらのひだが細かい。暗夜木の根株などにぼんやり光っているのを見ると不気味である。イッポンシメジにも猛毒があり、タマゴテングダケは命とりだ。茸の中で殊に珍重されるのはマイタケとコウタケとである。マイタケは深山にあり、一貫目以上もある大きなものもあるが、太い胴体の上部にネズミの足のような手がたくさん出ている灰白色の茸だ。味もよく、だしが出て調理人によろこばれる。マイタケ専門に探してあるいて町で高価に売り、それで一時の暮しを立てているマタギの連中もいるという。コウタケのことをこの辺では馬喰茸《ばくろうたけ》といっているが、その名の通り見た眼には恐ろしい茸で、形は傘をお緒《ちょこ》口にしたようなものだが、色が黒く、毛だらけで、いかにも馬喰らしい。これも相当に大きくなり、町でよろこんで人が買う。乾しておくといい香りが出て、すまし汁に使える。歯ぎれのよい、食べでのある茸だ。わたくしは茸の図鑑と引きくらべて、「食」とある茸は何でも食べてみた。村の人の食べないようなものでも平気でたべた。老成すると煙の出るツチグリの若いのもたべたし、アワタケもたべた。アワタケは割に大きな、間のぬけた茸で、村の人はアンパンといって馬鹿にしている。いかにもアンパンという感じの、うまくもない茸であるが愛嬌《あいきょう》があった。
秋の鳴く虫は語りつくせない。とにかくあらゆる種類の鳴く虫が一せいに小屋をかこんで夜は鳴く。ガチャガチャの声だけはきかなかったが、これは里の虫かもしれない。東京と同じようにここでもコオロギがいちばんあとに残って雪の頃までどこかの隅でとぎれとぎれに鳴いている。あわれのようだが、又それだけ生命の強さを物語っている。
十月になると農家ではいよいよ一年の収穫で、たのしい忙がしい日が十一月一ぱいはつづく。まずヒエを刈る。ヒエは穂からこぼれ易いものなので刈り時があるらしい。根から刈って十本くらいを一株になるようにしばり合せて三角形にひらいて立て並べる。これを「しま」とよんでいるようだ。それから粟を刈る。粟は黄いろの穂をゆたかにたれてうつくしい。ジャガイモはもうすっかり掘り上げてしまい、インゲンも、小豆も、大豆もきれいに刈られる。豆をとったあとの大豆の株はたくさん農家の軒下に乾されて冬中の大切な飼料になる。稲の刈入時は戦のようだ。毎日総出で朝から晩まで休む暇もない。天候との競争のように見える。刈った稲束は一たん田の畔《あぜ》に逆さに並べられて幾日か置かれる。それからやがて本式に稲架《はぜ》にかけ並べられる。たんぼの中に太い棒を立てて、これに高く稲束を丸くつみ重ねる方式もあり、又は低く積む方式もある。夜など見るとまるで巨人が立っているようだ。普通は棚のように横に四段にしつらえた丸太に逆さにぎっしりかけ並べる。まるで路の両側に稲穂の塀が出来たように見える。その金いろの稲穂の塀の間の路をゆくと、あの一種独特な、うまそうな稲の香りが強烈に匂ってきて、農家の営みの大半がまず無事に終ったなという大安心を感じさせる。わたくしは町へ用足しに出て帰る途中など、この稲穂を見るのがたのしかった。穂にも大きな粒や小さな粒があり、長いのや短いのがある。穂の種類によるらしいが、ともかくそのむっとするような、母のふところの匂のような、あまいような、香ばしいような芳香の中を歩くのがたのしかった。部落を出はずれて林のかげの自分の小屋の方に近づくと、いつのまにか稲穂の香りの人間らしさは消えて、今度は秋の山々からりょうりょうと吹いてくるオゾンに富んだ微風の新鮮無比な、宇宙的感覚のようなものが胸一ぱいに満ちるのであった。(秋の味覚のリンゴのことは又別に書く。)
底本:「昭和文学全集第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
底本の親本:「高村光太郎全集第10巻」筑摩書房
1958(昭和33)年3月10日初版第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志
2006年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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