る。坊さんは案外覇気のあるものだけれどもそれが無く、如何にも精神の深いものが出ている。ああいう顔を自分勝手に拵えたらいいだろうと思った。私が自分勝手に作った首はそれに較べると僅かである。大調和展の二回目に、アトリエ社の記者をしていた住友君の首を出したが、その首あたりから幾分か自分らしい彫刻が出来るようになった。黄瀛《コウエイ》の首もその前後の作品である。黄瀛は日本で中野の通信隊に入って伝書鳩を習い、私のところにも来ていたが、支那に帰って伝書鳩の隊長になり、中佐か何かになって喜んでいた。ところが漢奸《かんかん》だというので漢口の附近で一網打尽に殺戮《さつりく》されたらしい。漢口の山の中に伝書鳩の箱や設備が残っていたということだが、全然それきり消息がない。南京で居た町も調べて貰ったが、其処も全然形跡もない。当人もそれを恐がって手紙もくれるなと言っていたのだが――。(終戦後彼の無事だった事が分った。)
黒田(清輝)さんの首もその頃作った。その後で、松戸の園芸学校の前の校長の赤星さんのを拵えたが、これは自分として突込めるだけ極度の写実主義をやってみたもので、一寸ドナテルロ風な物凄い彫刻である
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