から、弟子が周りでやっているものだから、私は始終細工場に遊びに行って、その間に見たり聞いたりして、自然に道具やその他のことを覚えて行った。
 彫刻は、先ず小刀の柄をすげることが初りの一歩であった。詰り小刀の中身を貰う訳だが、檜《ひのき》の板を削って、すげる深さだけそこを削って嵌込《はめこ》み膠《にかわ》でつけて、小刀の柄がピッタリついて取れないようにすげ、それを上手《うま》く削って父なら父流の柄の形にこしらえ、椋《むく》の葉で手触りのないように仕上げるのである。それがなかなか出来ない。こんなのでは駄目だといって剥《は》がされて了う。小刀の中身の柄がささる溝が浅くなく深くなく僅かに余裕があって膠が入り込んでピッタリ喰付くのを良しとする。そうすると、すげた中身の廻りに空気が入らないから銹《さび》が来ない。それをうまく拵えるようにさせる。又柄を削るのも難かしい。削り方に流儀があって、だから小刀の柄を見ると誰の弟子ということが分る。父のは東雲系統である。柄の尻の所の丸め方、厚さと幅の関係、刃口の削り方など銘々の流儀で違う。又だから研ぎつけ方も違って来る。例えば石川光明さん系統の刃物は柄の恰好《
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